《朝日新聞記事「福島から避難 ママたちの悲痛な叫び」引用と感想考察》

若干、タイトルに偽りあり、かも知れないなと思いながらまとめました。 後半の文章は、「感想考察」ではなく、……ですね。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

朝日新聞デジタル2016年3月19日 核と人類取材センター・田井中雅人 (核の神話:20)福島から避難 ママたちの悲痛な叫び 以下、引用

2016-05-12 20:57:21
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用1  福島から母子避難した人たちが日本社会の中で見捨てられている――。映画監督の鎌仲ひとみさん(「核の神話:19」で紹介)がそう指摘した。

2016-05-12 20:58:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用2 実際、国や福島県は避難者の帰還を促し、避難指示区域外から避難した「自主避難者」に対する避難先での住宅無償提供を来年3月で打ち切る方針を決めた。

2016-05-12 20:59:03
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用3 東京電力福島第一原発事故による放射能から子どもを守ろうと、県外に母子避難している鹿目久美さんら「避難ママ」たちの切実な声を聞くとともに、現地調査・研究をしている大阪市立大の除本理史教授(環境政策論)に現状分析をしてもらった。

2016-05-12 20:59:28
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用4 横浜弁護士会が3月10日に市内で開催した集会を再現する。 ■鹿目久美さん(福島県大玉村から神奈川県に避難)

2016-05-12 21:00:05
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用5  2011年3月11日の原発事故のあと、福島県大玉村の自宅から、主人と当時4歳だった娘を連れて神奈川県相模原市の私の実家に避難しました。娘が幼稚園に入園する年でした。

2016-05-12 21:00:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用6 3月にあんな事故があったのに、4月には普通に入園式があったんですね。仕事で主人は先に福島に戻り、私と娘は1カ月ほど実家で過ごしたあとで、入園式には娘を出してあげたいと思って戻りました。

2016-05-12 21:00:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用7  再度、実家に避難したいとは、なかなか言えなくなってしまいました。福島市と郡山市の間にある大玉村は、人口8千人くらいの村で、避難した人は本当に少なかったんです。

2016-05-12 21:01:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用8 当時は放射能がどれだけ体に影響があるのかなんて分かりませんでしたし、そういう村の空気を感じて、私は言い出せなくなってしまいました。

2016-05-12 21:14:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用9  本当は神奈川の実家にとんぼがえりしたかったんです。主人に「また避難したいんだけど」ってようやく言えた時に、「じゃあ、おれはどうするんだよ」っていう言葉が返ってきました。

2016-05-12 21:14:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用10 家族が離れてまで避難する理由があるのか、決定的な証拠を出せるような知識はありませんでした。結局、最も放射能汚染の強かった夏休みまでの3カ月を福島で生活してしまいました。

2016-05-12 21:15:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用11  娘が幼稚園に行くときは、なるべく肌を出さない服を着せて、マスクをさせました。バスを待っているときに、土とか葉っぱとかを触ると、子ども同士で「放射能がついてるから、触っちゃいけないんだよー」って注意しあっていたんですね。

2016-05-12 21:15:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用12 事故前はお友達のように土や葉っぱで遊んでいたのに、それを触らないようにと子ども同士で注意しあっているのは、見ていてつらかったです。

2016-05-12 21:15:52
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用13  そうこうしているうちに、娘が大量の鼻血を出すようになりました。噴出するような鼻血だったり、30分ぐらい止まらなかったり、固まりが出たり。風邪の症状はないのに発熱が続いたり、それまでにはなかった皮膚疾患が出たり。

2016-05-12 21:16:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用14 うちの娘だけだったら気のせいかなと思うんですけど、まわりのお母さんたちの子どもたちにも、同じような症状があるって言うんですね。だんだん私は福島で子育てをする自信がなくなりました。

2016-05-12 21:16:44
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用15  外で遊べないストレスも強かったんで、車を2~3時間運転して山形県米沢市までわざわざ行って、娘に外遊びをさせました。福島から山形に入って、やっと車の窓を開けて深呼吸をするような状態でした。

2016-05-12 21:17:28
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用16  山形に入って私が車の窓を開けたら、寝ていた娘が起きてパニック状態になったんです。「ママ、なんで窓あけるの! 放射能あるのに!」って泣き叫ぶ。

2016-05-12 21:17:50
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用17  その年の夏休みは神奈川の実家で過ごしました。休みが終わりに近づいて福島に戻ろうとすると、娘が「放射能が怖いから、福島に帰りたくない」って言ってくれたんですね。その一言で私は避難を続ける決断をして、今に至っています。

2016-05-12 21:18:09
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用18 あの一言がなかったら、どうしていたか分かりません。彼女にはとても感謝しています。それでも、この先、彼女の体になにかあったら、私はどう責任をとればいいのでしょうか。

2016-05-12 21:18:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用19 自分の身に何があったかを子どもたちが知ったときに、大人は何を言えるんだろう。どうやって説明したらいいんだろう。

2016-05-12 21:18:44
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用20  5年前からずっと思っていることは、だれも責任をとってくれていない、本当の被害がどうだったのかが出てこない。それが出てこないうちに、復興とかいう。震災自体がまだ終わってないし、次のステップのスタートにも立てていないのにって思います。

2016-05-12 21:19:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用21 子どもに説明できるものを、ちゃんと出して下さい。そして、その責任者がちゃんと謝ってほしい。子どもには「人の話をちゃんと聞きなさい」って言ってるのに、国会ではヤジを飛ばしている大人たちがいる。「悪いことをしたら謝りなさい」って言ってるのに、悪いことをした人は謝らない。

2016-05-12 21:19:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用22  うちの娘、まだ小学3年生ですけど、自分の身に起きたことを最近は少し語ります。彼女は「福島で大変だったことを伝えたい、みんなにわかってほしい」って言うんです。

2016-05-12 21:19:57
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用23 「かわいそうだと思ってほしいんじゃなくて、だれかが自分と同じようなめにあったら、私の話を参考にしてほしい」って、小学3年生の娘が言うんです。その声をちゃんと拾ってほしいんです。

2016-05-12 21:20:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

引用24  でも、私たちは政府の「避難指示区域」の外からの避難者。自分の判断で出てきたので、そのことを「つらい」とか「苦しい」とか、大きな声で言えなくなっている。自分の居場所がない。これがいつまで続くのかな。娘は「二十歳までは福島に帰らない」って言ってます。

2016-05-12 21:20:37
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