ゼロアカで @ssakagami が言いたかったことへの @naoyafujita の応答
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僕は「純文学」というジャンル自体に価値はないと思っているが、「純文学」という枠によって可能になる「商業的なロジック」を逸脱した畸形的作品が生き残れる場として機能して優れた作品を生み出す部分に関しては敬意を払う。まぁ、作品ありきですが。
2011-02-06 18:21:03@naoya_fujita 上に見る意識はまったくないですね。マジな話、一番好きな作家は誰ですかって訊かれたらカルヴィーノと田中ロミオって答えるよ。重要なのは、ジャンルで区切る=コード・歴史で分けることで見える状況があること。シンプルにそれだけよ。
2011-02-06 18:21:45@naoya_fujita そもそも簒奪は起きてないし、その必要もないと思うよ。簒奪が生じたら次の瞬間に新しいジャンルが生まれるだけでしょう。
2011-02-06 18:23:26.@ssakagami 簒奪は起きていると思う。そして「文学」への意識がなかったが故に面白い書き手だった作家が文芸誌に書くことによって「文学」へのあられもない依存をむき出しにする様を見て、僕は心から「無残」だと思うと同時に、残念である。
2011-02-06 18:27:25「そこはお前のいいところじゃなかっただろう?」と思って、単純に読み手として残念に思う機会が多くて。「あ、盛り上がっている他ジャンルの書き手を取り込んで『よそもの・若者・馬鹿者』の理屈で純文学村を活性化しましたね。でもその後、その書き手は前より面白くなりましたか」と尋ねたい。
2011-02-06 18:29:29@naoya_fujita ああ、そういう人的登用の意味での簒奪はあるよね。でもそこは単に作家の思想や力量の問題なので関心ないです。超残念ではあるけどw 僕がハッキングと言ったのは別種の想像力を取り込めという話。
2011-02-06 18:30:25.@ssakagami 別種の想像力がエロゲなどにあるのなら、エロゲであること自体で何故不足なのかがよく分からないのです。制度的、あるいは権威などの問題で差別される、とか「文学」が不当に威張っている、という現実的問題はあるのでしょうが。
2011-02-06 18:32:22ニューマキシマリズムの戦略と筒井さんに関しては藤田直哉「ゼロ年代の筒井康隆作品」 http://bisista.blogto.jp/archives/1315101.html らへんを参考ですな~
2011-02-06 18:32:14@naoya_fujita 全体性を描こうとした小説群の背景にあったのが、全体性への到達の不可能性からスタートした「脱構築」だったっていうところに妙なねじれを感じる~
2011-02-06 18:40:44まとめすぎな松岡正剛によると「ようするに、後期資本主義の前衛芸術と大衆芸術の境界を脱構築する「小説という方法を書く文学」という文芸的ムーブメントのことである。/それを総じて巽孝之はメタフィクションとまとめた。「尽きる文学」だ。」ということらしい。
2011-02-06 18:40:51その「尽きた文学」の後に生きている我々は「複製の廃墟」だとか「物語の復活」だとか色々言われる状況なわけだけど、「尽きた」文学が、「中心と周縁」構造に頼って、どっか別のところで生まれて盛り上がっているものを簒奪して生き延びるのは、「意味あんのか」とたまに思ってしまう。
2011-02-06 18:42:21@naoyaf2nd その辺りは筒井文学・筒井思想の変質の問題だと思う。80~90年の、ラテンアメリカ文学の摂取などで「全体性」の問題が戻ってくる。
2011-02-06 18:47:48@naoya_fujita 純文学ってなんとなく「周縁ジャンルじゃない文学」みたいなところがあるしね~そのまわりから「周縁性」を取っ払って簒奪した結果何もない中心が残り続けるとしたら、それは意味のないことである~
2011-02-06 18:46:47.@naoyaf2nd 簒奪するだけならいいんだが、芥川賞の権威と知名度などの有引力によって、作家の書くものがだんだんと伝統と慣習の重力に引きずられて「同じ味付け」になっていくことが許しがたい。もちろん、さっきも言ったけど、僕は純文学の別の側面には心から敬意を払っている。
2011-02-06 18:50:16とはいえ、これは僕の「趣味」の問題に過ぎない、とも言えるので、愛好なさっている方の価値判断を特に否定するつもりはないです。
2011-02-06 18:52:53.@naoyaf2nd 別に「何もない中心」を拝むという構造でいい小説が出るなり、そういうカルトを愛好する方々がいることは別にいいんだけど、それを肯定した上で「否定神学批判」や「脱構築」は二度と口にしてはいけないだろうよw
2011-02-06 18:54:40文芸誌側の批判(SF的ギミックがなくても表現できた)は確かに下らないけど、発表媒体が純文学系の文芸誌だったから、ジャンルの問題としてそれ相応に本質的な問題だとは思う。まあSFには回収できない問題が、他のジャンルからも読み取れたよっていう意味での褒め言葉として受け取ればよいのでは。
2011-02-06 17:26:03↓僕は、ジャンルには固有の(無論その固有性は隣接ジャンルとの関係で形成されるわけですが)規則や歴史があって、それ自体で無価値とは思わないです。
2011-02-06 19:37:15純文学と他のジャンルの関係を、市場性の有無で語るのは議論が一面的になりかねないと、僕は警戒しています。僕は、諸ジャンルの関係性は規則的な対立としてしか見ていませんが、それゆえにジャンルの問題は結構重要かと思っています。
2011-02-06 19:37:59エンターテインメントやマーケットに対して純文学がひがみを見せるのは大正の頃からの年中行事の一つなので、無視をしておけばよいかと思います。まあそれで純文学が盛り上がってくれるのなら、個人的にはあってもいいかと思うけれど、僕が望むテーマセッティングはそういうんじゃないけど。
2011-02-06 19:43:35