花崎さんの「田中正造と民衆思想の継承」メモ

0
tu-ta @duruta

【田中正造と民衆思想の継承】 #bookmeter http://t.co/j4kFnWg via @bookmeter 花崎さんのライフワークともいえる田中正造研究。もうひとつ読みきれない感じが残る

2011-02-05 23:36:49
tu-ta @duruta

花崎さん「田中正造と民衆思想の継承」から:私が思うに、正造が「研究」というとき、彼がなによりもめざしていたのは、研究する対象の群れに入って身体とその感覚をつうじて生活を体験する、その学びのことなのではないか。67p

2011-02-05 23:44:34
tu-ta @duruta

花崎さん「田中正造と民衆思想の継承」から:正造はこうした思想を「学」として世に問おうという意思は毛頭ない。…彼はどこまでも自分の実践から抽出し、練り上げた考えを自分の覚え書きとして書き留めているのである。76p

2011-02-05 23:56:03
tu-ta @duruta

花崎さん「田中正造と民衆思想の継承」から:1909年7月8日田中正造の財産所有に関する考察。財産という名称がつくものがあれば、失うことは避けたくなる。その性質が悪いものは捨てよ。誰にとっても一定程度は必要。という前提のものと始まる。(続く

2011-02-06 06:11:54
tu-ta @duruta

続き)何がその一定の必要か、公益のための運動費、直接他人を救うための費用は必要の限度内。限度よりも多いものは邪魔になり無用、不経済、邪魔なものが増えれば、手数がかかり益なく害になるだけ。一個人が多く所有すれば社会の損。個人所有が限度以上になれば社会は貧困に陥る。続く)

2011-02-06 06:18:38
tu-ta @duruta

続き)これは社会にとって害。それなのに利益だとするのはひどい誤り。/ある人が宝を所有するとする。社会公共の宝でないものは真の宝とするには足りない。宝の尊ぶべきは必要不可欠なものであること。紙筆、墨、膳椀、鍋釜、五穀、塩、薪、衣服、笠、みの、わらじ、…。(続く

2011-02-06 06:25:25
tu-ta @duruta

続き)深く蔵に保存する古器物、書画、書籍は古来を考える宝で高尚なもの。 この正造の思想を花崎さんはサブシステンスの概念と一致する、と書く。彼のその定義は「生命の存続と再生産のシステムを基準にした生活と社会編成であり、そういう社会の実現を追求する思想。

2011-02-06 06:30:08
tu-ta @duruta

花崎さん「田中正造と民衆思想の継承」から(続き):公共の宝についての考察は、美の領域に。美術は日常生活では必要ないが、人生思想の快楽を治めるもので宝。蔵に隠して公共に常に見せなければ、その宝を地中に埋めることに似て快楽の趣旨も有用も理解しない宝の持ち腐れ。それでは本義を失う(続く

2011-02-06 06:53:47
tu-ta @duruta

続き)宝か宝でないかは公共の利用に開放されているか否かによる。 花崎さんは「自然が美と公共性の規範であること、真の宝は私有の否定を条件とすることがはっきり述べられている」と書く。「自然が美と公共性の規範である」という部分がもう一つ不明確であるような気がする。

2011-02-06 06:58:42
tu-ta @duruta

「田中正造と民衆思想の継承」から:私利私欲を否定して無主、無縁、無所有の公共性を宝とする思想は、彼が基層文化として身につけていた民衆思想…それは儒教を核とした倫理に由来するが、壮年期に政治家としての活動で依拠した自由民権思想によって民衆主体の民主主義へと練り上げられ、(続く

2011-02-06 07:16:13
tu-ta @duruta

続き)…晩年になって、キリストの教えに出会って霊性を重んずる方向へと深まった…。彼は私利私欲の追求と公共の富の独占の害をきびしく批判…その害をのぞく道を、人道の貫徹と憲法の実現という民主主義に求めたが…具体的に実現する政治と社会の理論構築や組織形成には関心を注がなかった 102p

2011-02-06 07:22:40
tu-ta @duruta

「田中正造と民衆思想の継承」から:一切の存在に内在してはたらく霊性に真の価値を見いだし、物質上の財や社会的地位や名誉などの欲を否定して、飾らず作らず、あるがままをたのしむこと、それが彼が到達した心境であった。(続く

2011-02-06 08:00:06
tu-ta @duruta

続き)彼が感得した真理とは、天地自然においては美として、人間においては無私、無欲として、社会においては公益と徳義として発現するものであり、そうした真理は、あるがままの存在の常なる姿のうちにあるという洞察であった。111p 無私だとか欲の否定だとかを強調されるとひいてしまうなぁ

2011-02-06 08:06:24
tu-ta @duruta

承前)再び引用:「衆愚ハ愚ニして天ニ愚ならず」 これは正造が谷中の苦学から到達した最も深い真理である。…、彼は世界を、最低の位置から見つめ、思索するようになった。128p このあたりの記述で、正造にも花さんにも「上から目線」を感じる。降りてきて目線を下げるという意思は美しいけど

2011-02-06 08:14:03
tu-ta @duruta

承前)新井奥邃の田中正造評価が面白い「…一面は快活で子供のよう…実に恭謙で尊貴の人 …政治の大義…微塵も容赦…ない。彼の深い意思は道を求めることであって人に怨恨を抱く人ではない。…氏は常に貧民の中にあり貧民に同情して貧民のために労す。しかし却って貧民にもよろこばれない」150p 

2011-02-06 08:30:50
tu-ta @duruta

承前)おまけ、新井奥邃という文字を呼び出すためにググったら、『知られざるいのちの思想家: 新井奥邃を読みとく』というグーグルブックがでてきた。ここから全部読めそう。

2011-02-06 08:32:47
tu-ta @duruta

承前)前田俊彦さんの章から:前田さんは…「挫折の連続」であったと述べている。そして、 「しかしながら、何度も挫折することができたということに意味があるのではなかろうか。むしろ挫折の繰りかえし自体が、私にとっては大きな収穫であったように思えてならない。(続く

2011-02-06 08:38:27
tu-ta @duruta

続き)新しい権力や権威をうちたてようとこころみるもの、あるいはすでにある権力や権威をまもりぬこうとするものにとっては、おそらくただいちどの敗北もあってはならぬだろう。それはかならず権力と権威を敵にするものだけが、敗北をすこしもおそれなくてすむのである」。

2011-02-06 08:42:03
tu-ta @duruta

承前)前田さんの『通信』から「…脳味噌は、人によって上等であったり下等であったりすることはさけられません。しかし、たかが味噌の問題なのです。いくら上等だといっても程度は知れています。ところが、ハートとなるとそうはいきません。万人においてハートは上等も下等もなく、すべて平等に同一…

2011-02-06 08:51:19
tu-ta @duruta

続き)万人は脳味噌において、あるいは腕力において千差万別であることは明らかですけれども、ハートにいたってはなんらの差別もないということが、わたしどもは万人は平等であると主張する最大の根拠でもあるのです」。177p

2011-02-06 08:54:07
tu-ta @duruta

承前)花崎さんは前田さんをものすごく評価しているのだが、ただ賛美しているわけでもない。例えば以下のような根本的な批判も。「独自なレトリックを使って、現実を組み立てる前田思想には、避けがたくこじつけが含まれていた」176p

2011-02-06 09:06:40
tu-ta @duruta

承前)安里清信さん:沖縄は…「しっかりした農業生産基盤をもって、買わんでもいいものは買わずにすませる。そうでないというと、生活のなかにゆとりというものがないはずですよ」「石油基地から入る金などはまぼろしのようなものです。だが、たとえばモズクとなると未来にかけて、これは永遠でしょう

2011-02-06 10:18:51
tu-ta @duruta

「田中正造と民衆思想の継承」で花崎さんは「田中正造から前田俊彦、安里清信へと、自然を「治める」という同じ思想が流れている」というのだが、この場合の治山、治水、あるいは『治海』というときの『治める』という言葉の意味も独特なものだと思う。

2011-02-06 13:41:12
tu-ta @duruta

承前引用)安里清信の「生存権」の思想は、今引用した発言からも明らかなように、「いついかなる『世』にかわろうと」、「底辺から、自分たちのもっているよさを発見して」、生存基盤に根を張る生活様式を突き出していくものであり、その生活様式を、たんに所与の条件として受けとめるのではない(続く

2011-02-06 14:59:44
tu-ta @duruta

続き)それは、沖縄戦を契機に、「ウチナンチューとはなにか、ウチナンチューはどのように生きるべきか」という問いへの答えとして彫りだした実存思想であった。

2011-02-06 15:02:35