【本多勝一様への追伸⑤】争いはそれ自体罪悪である/靖国神社は西欧のイミテーション/~「争うこと自体を罪悪」とする日本の伝統的思想は、正義の「争い」に弱い~
- yamamoto7hei
- 6170
- 174
- 0
- 1
①【読者へのおことわり】ロッド空港の事件とそれにつづく裁判について、多くの新聞社・雑誌社から意見を求められた。 しかし私は今、「事件と裁判」そのものについて、直接何かを言う気はない。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』
2016-05-17 20:09:17②岡本公三が法廷で何を言うか。 今の時点ではもちろん明らかでないが、彼がどのような表現を使おうと、それが「幼児性と正義」の固着およびそれに「起因する事実とフィクションとの混同」を示す以外の何ものでもないことは、聞くまでもなく、明らかなことである。
2016-05-17 20:38:50③幼児性と正義の固着は『本多勝一様への返書』の最初に取り上げた問題であり、つぎに「事実とフィクションの混同」をその主題とし、さらにこの「正義」を口にすれば(特に幼児性のある者が)必ず「流血」に至ることは、『本多勝一様への追伸』でのべた通りである。
2016-05-17 21:09:12④従って私は、岡本公三の「所信の披瀝」を、もう半年以上前にすでに、本多勝一氏の『ベンダサン氏への公開状』の中で読んでいるわけだから、今さら彼の供述を聞く必要はないわけである。
2016-05-17 21:38:50⑤岡本公三の「所信披瀝」がもし日本で報ぜられれば、日本人は彼を嘲笑するであろう、 「バカなやつだ」と。 だが私の言うことを覚えていてほしい。 傍聴席からは嘲笑どころか、何の声も起らないであろうことを。――
2016-05-17 22:09:02⑥一種の薄気味悪さから来る沈黙、それはおそらく『ベンダサン氏への公開状』を読んだとき私が感じたあの薄気味悪さと流血のにおいであり、同時にそれは、「百人斬りの二少尉」処刑の真因をあくまで黙殺しつづけながら、平然と正義を口にできる者のもつ薄気味悪さである。
2016-05-17 22:38:51⑦と同時に、その薄気味悪さは「正義は下着」であるといったイザヤの言葉の正しさを証明している。 以上のことは、本多氏への二書簡を読み返してくださればよい―― もちろん、これだけでイザヤの思想が語りつくされたわけではない。
2016-05-17 23:09:13⑧だがそれを語り尽すには、新しい計画の下に、新たに稿を起す必要があるであろう。 従ってこの問題は「将来、機会があれば」という事にしたい―― 時評的な事なら、事件の起る前に既に語ってしまったから。 以上が「事件と裁判」そのものについて、直接に何かを言う気がない理由である。
2016-05-17 23:38:52