#まなざし村 フェミニズムにおける「まなざし」論は勝手な加害被害関係を作り出しているだけで無理筋
@bandukeyosouya じゃあキャラが好き好んでやっていれば主体なのか。正に、これに対する反論をしています。 曰く、「言わされていることが確実だから客体だ」だそうです。
2016-06-17 21:27:35@bandukeyosouya 話が前後しますが、二次元の広告利用を以って客体だ、とも言っています。二次元は存在しないから意思がなく客体だ、というのでしょう。
2016-06-17 21:27:47@bandukeyosouya これらが話を混同しているのは容易に分かろうかと思います。 自らの想定反論のように、キャラクターが好き好んで性的なことをしている場合、前者では主体、後者では客体となります。 というわけで両者を混同しているね、という批判でした。
2016-06-17 21:29:12@bandukeyosouya なぜ客体を論じたのかというと、女性性の解放に反する、という批判に答えるためだそうです。そして、その例として「ファッション」を挙げておられます。 全く同意できません。
2016-06-17 21:29:40@bandukeyosouya 二次元は意思が存在しないから客体である、というお話でした。 では三次元は意思が存在するから主体というんでしょうか。
2016-06-17 21:30:00@bandukeyosouya のうりん等と同じく商用利用で考えます。もちろんスポンサーの意向もあるでしょう。そして現場ではカメラマンだったり監督の指示があって、それに従って、予め用意された化粧をした女性が撮影されるのでしょう。
2016-06-17 21:30:41@bandukeyosouya 2 性の解放の受け手 本質的ではないのですが、 「ファッションの自由化のように女性自身が主体となって選び取ることのできる選択肢の増加」 は、 男性が女性性を利用しやすくすること」ではないのでしょうか。 私には二者択一には見えません。
2016-06-17 21:31:52@bandukeyosouya 3 まなざしの機能 まなざしは、「対象に対して見る側の価値観や基準を押し付け、その通りに意味づけて一定の方向へ誘導するもの」という意味があるそうです。 なるほどそうなのでしょう。では逆は?
2016-06-17 21:32:11@bandukeyosouya それを見て、女性がそのように殴られ、蹴られる役割なのだと受け入れ、殴りかかられた時に黙って受け入れるようになるのでしょうか。 普通の女性はそのような画像に嫌悪感を覚えるだろうし、殴りかかられた時の行動には影響しないのではないでしょうか。
2016-06-17 21:33:16@bandukeyosouya つまり、ここで「まなざしの機能」とされているものは、表現が人間に与える影響の一つを示しているに過ぎす、具体的な影響には疑問符がつきます。
2016-06-17 21:34:19@bandukeyosouya 4 性的まなざしの多様性 「「まなざし」ばかりが表現の世界に存在しているためにそれ以外の存在としていられない」だそうです。
2016-06-17 21:35:04@bandukeyosouya では、「巨乳の女子高生が恥ずかしがっている」という性的まなざしと、「貧乳のアラサーが恥ずかしがっている」という性的まなざしを共に受け取った女性は、どうなるんでしょう。自殺する?
2016-06-17 21:35:25@bandukeyosouya ここには二つの疑問があります。 二つの絵を書いた人は、女性とはいえ、それぞれ異なったカテゴリーに属する女性をまなざしています。 両者は、別個といえば別個の存在なのです。
2016-06-17 21:35:52@bandukeyosouya それを、女性が「女」というカテゴリーにまで抽象する(それ以上の抽象化はせず)ことによって、表現客体と完全には一致しないであろう女性が精神的に行動の制約を受ける、と主張しているのです。
2016-06-17 21:36:40@bandukeyosouya そしてもう一つ、矛盾したまなざしがあったらどうするか。自殺する?いえいえ、普通はどっちか影響されやすい方に影響されるでしょう。
2016-06-17 21:37:10@bandukeyosouya 5 被影響者排除の限界 今言った「影響されやすい方」というのは、性的まなざしを見た人の精神作用です。
2016-06-17 21:37:26@bandukeyosouya 表現客体を「女性」とカテゴライズするのも見た人の精神作用です。 性的まなざしを問題化するに当たっては、影響される側の問題は切り離す必要があるのでしょう。
2016-06-17 21:37:53@bandukeyosouya でも、女性の精神作用に対する影響の問題としてしまったとき、影響される女性の側を一切論じずに語るなどということが、果たして可能なのしょうか。
2016-06-17 21:38:22@bandukeyosouya ここを議論しないのに見た側の精神作用を論じる以上、極めて多様である女性一般論として当てはまるような議論をしなければならなくなります。
2016-06-17 21:38:34@bandukeyosouya いきおい、抽象的で具体的な社会的問題の役には立たない議論や、誤った議論にならざるをえないでしょう。 つまり、ハナから無意味か無理筋な議論であることが約束されていたように思います。
2016-06-17 21:39:09@bandukeyosouya 6 まなざし名称問題 先ほど述べたように、「その表現物を見た人に対する影響」を論じるには、見た人がどのように受け取ったか(例として、女性というグルーピングをしたか)とは切り離せないはずです。
2016-06-17 21:39:27@bandukeyosouya これは、比喩的には表現の受け手側の「まなざし」という表現も許されるでしょう。 つまり、直感的には表現の受け手側の「まなざし」であるように見えるのが、実際は表現者の「まなざし」であったというおかしさが、まなざし村流行の理由だったように思われます。
2016-06-17 21:40:04@bandukeyosouya そしてそれは、まなざし村が表現の受け手側を無視して表現の受け手側の精神に与える影響を論じるという無理筋の議論をしている、という根本的な問題を確かに言い当てているように思えるのです。
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