.@columbus20 『存在論的、郵便的』で萌芽のみみられるアイデア、あるいは別の可能世界への緒

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倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

あと自分は『存在論的、郵便的』で予告されてた論のいくつかがずっと気になってます。「ヒントだけ」とか「別の機会に」といった文章が多くて。。 RT @ttt_ceinture @takidashibutai 『郵便的不安たち』には、成就しなかったプランがいくつも眠っていた。

2011-02-10 03:41:40
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

情報を通過させるネットワークと情報を記録する場所のその区別は…「郵便」と「記憶」の区別を意味する。しかしその二分法が維持されない…とすれば、彼が提案した心のモデル化(第一、二局所論)はどのように変形されるだろうか?この問題についての詳しい検討もまた本書の範囲を越えている(192)

2011-02-10 03:49:19
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

そしてその過程でそれら諸隠喩=概念を配置した地図やキーワード集を作り後期デリダを読み解くためのガイド・マップを作成することもまた可能だろう。(88)

2011-02-10 03:51:48
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

私たちの確認する限り他のテクストでもおおむねリズムへの参照は断片的、示唆的なものに留まっており、それが全面的に展開された論文はない。…しかしその検討は独立した作業を必要とする。したがってデリダのリズムについて述べるのはまた別の機会とし・・(180)

2011-02-10 03:55:02
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

おそらく私たちはここからフロイトとデリダを結ぶ線の延長上でより広い精神分析的思弁を展開することができる。だがそれは残念ながらデリダ論として始まった本書の枠組みを越えている。(188)

2011-02-10 04:09:45
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

この部分が「不安たち」で浅田につっこまれ、批評空間では予告までされてた「デリダ的精神分析」

2011-02-10 04:10:26
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

柄谷は後期デリダとは対照的に装飾的文体や語彙の戯れをできるだけ廃した日本語できわめて「論理的」に見えるスタイルでテクストを構成する。ではこの差異は何を意味するか?残念ながらその問について論じるのはまた別の機会に譲らねばならない。(134)

2011-02-10 04:12:54
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

なぜハイデガーやドゥルーズが非世界的存在を肯定的な、あるいは実証的な表現で語ることを好んだのか、この問はまた別の論考を必要とする。(201)

2011-02-10 04:14:18
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

「分裂分析的地図作成法」にみられる「4つの存立性の区域」の射程などを徹底的に理論的な観点から再検討せねばならない。(200)

2011-02-10 04:16:32
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

実際私たちはすでにデリダによる言及がほぼ皆無なドゥルーズとアルチュセールに触れている。…しかしその作業は本書の枠組みを逸脱する。(221)

2011-02-10 04:18:02
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

デリダの隠喩と岡崎のアイデアのあいだのこの注目すべき関係についてはまた稿をあらためて論じたい。(59)

2011-02-10 04:19:34
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

おそらくは私たちはここからデリダの政治的読解のひとつの方向、…「郵便的政治学」の練り上げを構想することもできるはずである。しかしその作業もまた本論の主要なテーマからは外れている。(259)

2011-02-10 04:21:31
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

4章にも色々とあるんだけど、それはまた別の機会に譲らねばならない

2011-02-10 05:03:58
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

関係ないかもですが、『葉書』は郵便本で最も重視されてて「一種の自伝的書簡小説」(154)なので、東さんがそっちへ向かうのは最初から想定されていた方向かもと思いました RT @ttt_ceinture おそらくその感覚が小説執筆にもつながっているんだと思うんですよ。

2011-02-10 05:08:47
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

しかしデリダの示唆によれば、むしろ「コーラ」という語はまさにその不可能性そのもの、つまりひとつの同じ語に複数の解釈者が異なった意味(同一性)を注ぎこむ、概念のその容器性をこそ示していると解釈される。(49)

2011-02-10 05:38:29
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

基本的にエクリチュール=コーラ=キャラクターみたいな図式で考えている

2011-02-10 05:45:10
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

全く岡崎理論には詳しくないですが、岡崎が批判する「センチメントの仕掛け」はまさに否定神学的だとは思いました(郵便60p) 。『経験の条件』の書評では「一枚の絵を一枚と見る不自由さ」という表現があり、そのあたりでは RT @ttt_ceinture 岡崎乾二郎と東浩紀

2011-02-10 06:01:05
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

【超平面的】徹底的に平面的でありながら同時に平面を超えてしまう特徴を意味する。ポストモダンの記号的世界の特徴。世界の深層はデータベースとして表象され、表層に位置する記号は全てその解釈として捉えられる。階層関係ではなく並列関係。異なった階層の情報が等価に並行して消費される(156)

2011-02-10 17:33:47
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

【過視的】超平面的な世界に対して働く欲望の特徴。見えないものをどこまでも見えるものにしようとし、しかもその試みが止まることのないという泥沼の状態。(158)

2011-02-10 17:37:50
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

【ポストモダンの超越性】目の前に小さな見えるものがあり、そこから見えないものに遡ろうとしても見えた瞬間小さな物語へと変わってしまい、それに失望して再び見えないものへと向かうという運動。視覚的な近代の超越性(小さな見えるものから大きな見えないものへ遡行)とは異なる。(160)

2011-02-10 17:44:24
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

RT @hazuma 萌えの問題は、ぼくにとっては画面の手触りの問題なんだよな。手触りそのものがセクシュアルだから、それはむろんセクシュアリティと関係しているけど、しかしそれは異性愛的暴力の問題というよりもっと倒錯的で前性器的ななにかと結びついている。

2011-02-10 17:51:52
倉津拓也@文フリ東京た-17 豊田徹也友の会 @columbus20

RT @hazuma そしてそんな倒錯的で前性器的な「なにか」が、視覚的で近代的な主体を迂回して(視覚性と近代性の関係についてはクレーリーなど参照)、そのままとても静謐で形式的な擬似ー超越論性(たとえばメタフィクション的自己言及)に流れ込んでしまう

2011-02-10 17:53:10