- morimoritat
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野蚕という天然の蚕は、クヌギの葉を好むので、かつて普通の蚕のように野蚕を沢山育てようとクヌギの林に野蚕の幼虫を放し、1ヶ所で大量に野蚕から、上品な緑の山繭を得ようとしたらしいが、ちょっと上手くいきかけると、野蚕が病気で死滅したらしい。
2011-02-10 23:02:39それで「野蚕と大根は当たったためしがない」という言葉が生まれたという事だ。つまり、生き物を限られた空間で効率よく育てるということ自体が不自然な行為で、自然は、これを戒め、野生の蚕は、このルールに従ったのだと思う。
2011-02-10 23:03:26もちろん人間の歴史は、即ち不自然な行為の歴史という見方もあるが、それでも石油が掘られ、プラスチックが作られ、原発が稼動するまでは、まだまだその不自然さも大したことがなかった。
2011-02-10 23:04:05それが、そうした便利な物を手にして、人間は一気に抑制が利かなくなった。もちろん私もその流れの中にいる。20代の頃は川の浅瀬にひっかかったプラスチックのゴミを見て、「ああ、人間は取り返しのつかない事をしたなあ」と落ち込んだ事が再々あったのだが、その度に自分の無力を感じた。
2011-02-10 23:04:52その頃は、実際ひどく質素な食べ物でも十分元気に生きていける事を実感しておこうと、生玄米を水につけ、発芽状態になったものを擂り潰して食べたり、ソバ粉だけ持って、後は松葉と野草で旅をした事もあった。
2011-02-10 23:05:41生玄米などで約1ヶ月過ごした時の頭の中のスッキリ感は、それ以前にも、それ以後も一度も味わった事はなかったが、ただ感覚が鋭敏になりすぎて、電車の中で子供を叱る母親を見ているだけで心がひどく辛くなり、火を通った物に戻して娑婆でも生きていけるようにした。
2011-02-10 23:06:32ただ、あの頃は電車に乗っていても何かのキッカケで現代文明という人間の愚かな行為に気持ちが一気に落ち込んで、何もかもがイヤになり、この世からそのまま消えてなくなりたくなる発作が年に2〜3度は起こっていた。
2011-02-10 23:07:12しかし、そんな思いに取りつかれていたら生きていけないから、何とか心の整理をし、割り切り、その事実から目をそらす術も身につけた。しかし、心の奥底には現代という時代に対する怒りが冷えぬマグマとして、ずっとたぎり続けている。
2011-02-10 23:08:09そうした思いがずっとあったから、97年『もののけ姫』を観た後、しばらくは映画館の客席から立ち上がる力がなく呆然としていたし、後遺症はずいぶん長かった。
2011-02-10 23:08:55宮崎駿監督にお会いした時、「いろいろな人から、いろいろ感想を聞いたけれど、甲野さんほど衝撃を受けたという人は聞いたことがないですよ」と私に話され、その後、2000字以上もの『もののけ姫』に関する長文の御手紙を頂いた。
2011-02-10 23:09:58しかし、宮崎監督といえども『もののけ姫』で、あそこまで人間の業の深さを開示してしまうと、その後に続くものがなかったのだろう。次作『千と千尋の神隠し』では、「まあ、ひどい時代だけど友情は大切だよ」というメッセージを伝えるに留まっている。
2011-02-10 23:10:53だが、これは宮崎監督を責められないだろう。いま、という時代に生きている者にとっての限界ギリギリが『もののけ姫』だったように思う。宮崎監督から頂いた御手紙には、そのことが切々と綴られていて、いま読んでも胸を打たれる。
2011-02-10 23:11:31まあ、しかし、いつまでも悲憤慷慨していてもはじまらない。ここは気持ちを切り換えて、どうしたらいいのかを考えてゆくしかない。明日は東京タワーの近くで講演。その後、池袋コミュニティカレッジ。そして明後日12日は朝日カルチャーセンター横浜。御縁のある方はいらして下さい。
2011-02-10 23:12:37