社会的認知からみた不安の正当性
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そして「感情的」とされる因子の例に挙げられているが「破滅性」「未知性」「制御可能性・自発性」「公平性」である。 果たしてこれらは「感情的」だろうか。その言葉が含意する「主観的」で「非合理」で、「科学的・合理的」な専門家・行政の認識によって矯正されるべきものだろうか。
2016-05-24 21:55:31同様に「未知性」や「破滅性」も、ちょっと考えれば社会的・規範的あるいは政治的な意味を見出すことができる。これらの観念を「感情的」と言って個人心理に意味を切り詰めるのは、それ自体が不正義だとすら言える。
2016-05-24 22:02:56もちろん、これらの事柄に関する人々のリスクに対する反応は「感情的」ではあろうが、それは「公共的・規範的意味」をもった感情である。たとえば「不正義への怒り」という感情は個人的であると同時に公共的・政治的であるし、そう受け止められなければならない。
2016-05-24 22:05:53ちなみに昨日はとある高校で「科学技術リテラシー」として、リスクを科学的・定量的に理解すると同時に、そのような「社会的・規範的」な問題も理解しないとあかんよという話をしてきた(他にも論点はあったけど)。
2016-05-24 22:14:45ネタとして使ったのはこちらのまとめ。事故直後に首相官邸HPに掲載された医学者のエッセイがなぜ炎上を招いたのか。憤りや不満を示した人たちの批判の理由は何かを見てもらった。決して「科学が理解できないからではない」と強調しつつ。 ceron.jp/url/www.kantei…
2016-05-24 22:19:20除本:もう一つはリスク認知論からのアプローチ。専門家の見解からずれていても普通の市民は不安を感じてもあたりまえだというもの。裁判所にリスクコミュニケーションについての見識を伝えていくことが必要。#福島の今シンポ
2016-05-28 16:25:02除本さんが「不安の合理性」ということで意味しているのは、先日つぶやいたこの話(リスク認知の社会的・公共的・規範的意味の話)。 twitter.com/hirakawah/stat… twitter.com/imatsutaetai20…
2016-05-28 16:34:52「科学/情緒」という二項以外に「人権」「倫理」「公共性」という項があることを無視するのは科学的リスク論の基本的誤謬。
2016-05-24 21:48:25.@ma_yoke @hankoyama 不安の正当性」の問題は、いずれ法学者や弁護士さんも交えて、論理構築のための勉強会をやりたいですね。
2016-05-29 11:49:47政府が福祉へ投資を行うのは合理的判断でもあります。政府がその統治領域を安定させるため、社会不安の抑制に努めることもまた重要な政策となります。いたずらに社会不安の増大を招く安易な社会福祉の削減は統治行為としては統治の正当性を毀損するものでもあります。 #紫音たんbot
2016-07-12 15:49:11原発事故の避難にまつわる「政府のタイミングで選ばされる被害」を認める「選ばない権利と補償」を確立したい。 どうしたらいいのか教えて。
2016-07-13 09:46:21影浦峡先生の講演「放射能安全報道とその社会的不安」 togetter.com/li/244769 “このような問いを出すことで、本来当然である不安が、分析、診断の対象になる奇妙な事態に陥る。本来、問われるべきものは汚染者の東京電力と、社会的基準を超えてもOKと言う人達。”
2016-07-13 10:03:40“若干の捻れた議論について、反復を厭わず” mobile.twitter.com/emacat_bot/sta… “若干の捻れた議論について、反復を厭わず(2)” mobile.twitter.com/emacat_bot/sta…
2016-07-13 10:09:53東大・影浦 峡さん“若干の捻れた議論について、反復を厭わず” htn.to/PANTveyF 子どもの環境保健に関する八カ国の環境リーダーの宣言書 「我々は、暴露の予防こそが子供を環境の脅威から守る唯一かつ最も効率的な手段であることを断言する」 と高らかに宣言され
2013-03-11 09:14:34東大 影浦 峡さん “若干の捻れた議論について、反復を厭わず(2)” researchmap.jp/index.php?acti… ところで、世の中の現象には、直接「見える」ことだけではなく…「わからないことは存在しないことではない」と考えることが基本となります。
2013-03-13 20:51:43