@jai_an 氏による【学び合いの諸課題】No.1〜52ツイート

学校教育「以前」、教員の教育「以前」、教室授業「以前」の「潜在的能力」、「可能性」とは、結局のところ家族の環境や地域の環境に影響を受けたものでしかない。 その意味で抽象的な「子供の潜在的能力」や「子供の可能性」一般などというものは存在しない。 学び合い教育にこだわる教員たちは、いつも「子供は100人いれば、みんなそれぞれの個性や可能性を持っている」と言うことになる。当たり前のことだ。
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芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(26)】たしかに「できの悪い子」たちは、1( 一人の教員)対n個(30人を超えるクラス生徒)の教育よりも、授業で「寝てはいない」。「寝てはいない」どころか「生き生きしている」(西川純)。 #manabiai 

2011-02-15 15:16:53
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(27)】「しっかりとした子供」はクラスに何人もいるから、その子供たちが(一人の教員では見落としがちな細部まで)「できの悪い」(授業参加率の悪い)生徒たちを喚起し続けるのである。 #manabiai

2011-02-15 15:19:07
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(28)】場合によっては、対教員に対してよりも、対同級生の指示の方が有効である場合も多く、「しっかりした」子供による指導は効いて、遙かに授業は荒れない。「講義」では寝ているが、グループ実習授業で寝ている学生がいない専門学校と同じ現象だ。 #manabiai

2011-02-15 15:21:46
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(29)】それもあって、1対n個の授業をにわかには制御できない新人教員は、「学び合い」スタイルに飛びつくことになる。生徒が教員に向かってこない分、心理的に楽になるからだ。まさに生徒は生徒に向かい合っているのである。 #manabiai

2011-02-15 15:22:47
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(30)】運が悪いのは担任との相性ではなく、グループ内、教室内の生徒との向かい合いの所為になる。この教員たちが“研究”することは生徒からの、教員への視線を軽減させることなのである。 #manabiai 

2011-02-15 15:24:28
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(31)】それはむしろ学生の自主性を導き出すための積極的な“研究”であるように吹聴される。この教員たちが国算理社の科目指導法に集中しないのはその部分を「しっかりした子供」が担っているからだ。教員は向かい合わせの技法ばかりを研究することになる。...

2011-02-15 15:28:11
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(32)】この教員が教員としてやることは、授業時間に、生徒が教員に直接向かわないようにするための自主学習課題プリント作成なのである。「学び合い」教員にとっての教材とは、国算理社の教科書記述を補う教材ではなくて、自主学習「課題」作成のこと。 #manabiai 

2011-02-15 15:29:31
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(33)】そんな乱反射と拡散の象徴的なテーマが(再びぐるっと一周して)ハイパーメリトクラシーである。いわく画一評価はよくない、総合力が本当の能力だ、点数では能力ははかれない、試験は抑圧だなどと言ったもの。最後は心理主義的な満足度評価で終わる。...

2011-02-15 15:31:40
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(34)】「満足度」評価は、2003年から続いてきた大学教育改革プログラム(特色GP、教育GP)でも花盛り。高等教育の専門段階に入っても受講学生による「満足度」評価によって何十億もの改革補助費が拠出されてきたのだから問題の根は深い。 #manabiai 

2011-02-15 15:36:05
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(35)】この「学び合い」教育が一部の教員に熱烈に歓迎されるのは、もしこの乱反射と拡散がないなら、明日からでも教室内で孤立し、まともな授業運営にならないからだ。しかもライン意識のない教員の平等主義によって〈担任〉は学校組織からは孤立している。 #manabiai

2011-02-15 15:38:24
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(36)】〈担任〉に「雑務」が多いのは、学校がライン化されず、すべての教員が基本的に平等に存在しているため。「雑務」が多い分、しかし教員は自由裁量でいられる。要領の良い教員はそれで済むが、全ての教員でそうはいかない。 #manabiai

2011-02-15 15:47:48
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(37)】通常の会社であれば訓練がなされるところ、そのような組織的な指導がない分(その証拠がずさんな通知表)、授業=教室内をまとめることばかりに心を砕く(校長や教育委員会に介入されたくない)。担任主義に特有な裁量評価が前面化する。 #manabiai 

2011-02-15 15:54:41
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(38)】その裁量主義的な評価に、「学び合い」の生徒評価、つまりハイパーメリトクラシー評価は大変相性がいい。 #manabiai 

2011-02-15 15:57:26
芦田宏直 @jai_an

http://ow.ly/3Xzok これの続きです。【学び合いの諸課題(39)】その裁量主義とは、事前の評価指標(教育目標)を覆す評価ということだから、この種の「民主的な」学び合い授業の教員こそ、権力的だと言える。 #manabiai 

2011-02-17 01:03:03
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(40)】むしろ、事前の評価指標(教育目標)を持ち出すことを嫌うのが、この「学び合い」教育の傾向。 #manabiai

2011-02-17 01:05:38
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(41)】裁量主義とは、その場に居合わせないとわからない成り行き次第の評価。つまり一切の第三者評価を受け付けない「腹づもり」評価である。だからこの教育の評価は一般的に多段階化しない。あっても並列指標になる。 #manabiai

2011-02-17 01:09:31
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(42)】「腹づもり」評価の合い言葉は「みんなそれなりに頑張った」というもの。生徒は「それなり」に成長したという評価が裁量主義。 #manabiai

2011-02-17 01:12:38
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(43)】裁量主義の特質は、(授業内での)生徒や学生の仕上がりを基本的に否定しないこと。 #manabiai

2011-02-17 01:13:31
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(44)】なぜか? 教員が「教育」に関与しない分(生徒の「学習」という自主性に依存した分)、その成果を評価する基準は根源的には生徒自身の中にあるという「考え方」が支配しているから。 #manabiai

2011-02-17 01:16:09
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(45)】それを飛び越えて、「教育的」=(西川純的には「権力的」)な基準を、「評価」だと言って(外面的に)持ち出すことは、自主的に学び合ってきた生徒からすれば「何を今さら」ということになる。 #manabiai

2011-02-17 01:23:43
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(46)】教員からの働きかけが少ないグループ型の教育の場合、評価が裁量評価になるのは、その、(「教育的な」)働きかけが少ないこと自体に原因を持っている。 #manabiai

2011-02-17 01:26:04
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(47)】教員による達成評価を客観的に細かくすればするほど、評価される生徒や学生は、そんな評価するのだったら、きちんと細かく教えてよ、ということになる。いわゆる「後出しはずるい」というもの。 #manabiai 

2011-02-17 01:32:38
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(48)】たとえば、グループ内で一つの作品や課題プログラムを(自主的に)取り組ませて、それを(外側から)最後に評価して「否定的な」評価を行うとどうなるか? 「先生、授業時間中にそれを言ってよ」ということだ。 #manabiai 

2011-02-17 01:35:43
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(49)】つまり、「学び合い」型の成果を教員が否定するということは自分の“指導”自体を否定することに他ならない。だから「学び合い」型授業や研修はボトムアップ型授業アンケートか「それなり」評価の裁量主義になってしまう。 #manabiai

2011-02-17 01:40:38
芦田宏直 @jai_an

【学び合いの諸課題(50)】つまり、それは結局のところ、教育目標自体が存在しないことに他ならない。西川の場合の教育目標は、「憲法」と「人格の完成」である。これは何でもありの教育目標でしかない。 #manabiai

2011-02-17 02:00:10