国家内での文化の乖離と国家産業資本主義の自滅

産業資本主義は、国家の構造に支えられているのに、国家を瓦解に導く自滅構造を持っている。
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API @API0612

“文化の違いは「国家間」より「国内」のほうが大きい | HBR.ORG翻訳マネジメント記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー” htn.to/CftGVcz

2016-08-29 06:57:52
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

この記事で文化とされているのは、 1.個人主義か、集団主義か 2.組織内での階級と地位への認識 3.不確実性をどれだけ回避したがるか 4.物質的豊かさ・自己主張・競争(男性らしさ)重視か、社会福祉・円滑な人間関係(女性らしさ)重視か @KF0612

2016-08-29 08:56:48
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

ここで言う文化は、ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87…のような、「ある集団で共有される思想、慣習のようなもの」であり、日本で俗に使われるような流行コンテンツ、流行ファッションとしての「文化」とは異なることには注意を要しそうである。

2016-08-29 10:41:01
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

国の文化共有度が比較的小さいことについてはある仮説を持っている。 産業社会への変革にあたって、各国は国家的な教育を提供することで、「家業」構造を弱め、新産業に労働力を供給する経済構造を提供することを実現しようとした。 参考 s.ameblo.jp/nakedcds/entry…

2016-08-29 10:48:13
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

本来これは国民の均質化を強めそうではあるが、現実にはまず、労働者と資本家という階層を与え、次に分業による職業集団の区別を与えた。特に新産業が生まれるごとに、分業に従って集団は細分化されていく。分業を可能にする基礎的能力は国家によって共有されるが、それも若年期に限られる。

2016-08-29 10:54:05
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

特定の大きな職業集団の分解が進むことになれば、国家の画一的教育に関わらず、文化の共有度は小さくなることが予想される。むしろ、他国の工業などのキャッチアップを目指せば、他国の同一職業集団と似た文化を形成するようになることは不自然ではない。

2016-08-29 11:01:46
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

しかし、これは国家的画一化によってもたらされた構造であるにも関わらず、国家的文化共有を阻害することで、国家資本主義構造を揺るがしかねないメカニズムを持っている。 具体的には、公務員叩き、土方蔑視のような職業間不和や富裕層の再分配敵視として立ち現れてくる。

2016-08-29 11:03:59
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

産業資本主義は、国家の力なくしてここまでの成長を見ることはなかったにも関わらず、それ自体は国家の力を削るように働くわけで、それによる害がそこかしこに顕在化し始めたのが、現代先進国社会ではないだろうか。 もしそうなら、この記事を単に国家軽視の論拠としていく態度はまずいかもしれない。

2016-08-29 11:07:34