バタイユとラカン=ジジェクPart2-「神の死」と「現実的なものへの情熱」について-

げしゅさんとの議論をまとめてみました。 (途中のケイさんのツイートはまさに〈非-知〉体験でした)
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げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

@Abraxas_Aeon 象徴界に還元できず、それに抵抗するもの、象徴界がその周りに構造化される空虚、それが現実界ですし、それは一面ではカントの物自体(まさしく超越的なもの)とも比せられるものです。ジジェクが「現実的なものへの情熱」といえばバタイユというのもそういう文脈ですね。

2011-02-14 21:36:58
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

@Gespenst177 ああ、失礼しました。その文脈の流れだと以前突き合わせた未知のものの方ですか。確かに「現実」にはそういう語法も存在してますね。この場合「推論的現実」が排除する経験を推論的現実の消滅の瞬間として「現実化」する、この事への情熱と捉えたほうがしっくりくるかも。

2011-02-14 21:48:57
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

@Gespenst177 あ、ジジェクの言うバタイユの文脈に即してです。

2011-02-14 21:58:29
げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

@Abraxas_Aeon えぇ、分かります。ケマックス記事の話に戻すと、あれだと現実的なものの情熱の話はサクッと神の死の話に移行して、その後ずっとその話をしているって感じがして、何でこの話が必要なのか、この概念はどういう意味なのかがよく分からないんですよね、自分は。

2011-02-14 22:01:12
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

ジジェクはバタイユがニーチェの「神の死」を「不断の否定性」と捉えたことも踏まえているのかな。「不断の否定性」は「現実的なもの(=未知のもの)への情熱=非-知体験への情熱」と直結してるのですが。

2011-02-14 22:15:46
kei_ex @kei_ex

kei_exは 一つ前のツイートの10こ下の人に「私のこと好きですよね」と言ってドヤ顔しましょう。約束です http://shindanmaker.com/88629

2011-02-14 22:20:11
kei_ex @kei_ex

@MUMUMU4yyk ちょうどアブラさんに当たってしまったんだ……RT @kei_ex: kei_exは 一つ前のツイートの10こ下の人に「私のこと好きですよね」と言ってドヤ顔しましょう。約束です http://shindanmaker.com/88629

2011-02-14 22:22:59
kei_ex @kei_ex

@Abraxas_Aeon あついジジェク話の邪魔してしまってすみません……ちょうど当たってしまったので…。

2011-02-14 22:30:42
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

つまりどういうことかっていうと、まず、げしゅさんのジジェクが捉えているところのバタイユの「現実的なものへの情熱」は、「〈推論的現実〉=〈推論的思考[=知]の有機構造〉の消滅への情熱」と言い換えられる。これは「〈未知のもの〉への情熱」であり、「〈非-知〉体験への情熱」だとも。

2011-02-14 22:31:07
kei_ex @kei_ex

@Minority20 1個ずれてたらマイマイだったのにねー

2011-02-14 22:31:41
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

で、これはある〈推論的現実〉の否定なわけです。バタイユはニーチェを引用して、硬直したままの〈推論的現実〉なんて粉砕してナンボだ的なことを言う。この〈推論的現実〉が、〈神〉と見立てられる。「〈推論的現実〉の消滅への情熱」っていうのは、神を殺すことへの情熱だと言い換えられる。

2011-02-14 22:37:31
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

が、一旦現実化したものはやはり既知のものとなる。やはり新たな〈推論的現実〉が形成される。したがって〈神〉が再び蘇る。バタイユの「現実的なものへの情熱」は必然的に、不断に〈神〉を殺すということになる。「神の死=不断の否定性」の図式は以上です。

2011-02-14 22:44:47
げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

その辺りは一応把握しているとは思います(神の死と関連付けているかは別として)。ジジェクの考えだと主体は徹底的に否定性であり、彼は人間主体の根本的次元を死の欲動(これは否定性の過剰を上手く表現している言葉だと言っています)とかヘーゲルの否定性としての主体というところから理解します。

2011-02-14 22:52:01
げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

それでジジェクはあるところでこんな風に言っています。「一方ではもちろん、バタイユの主題は近代的主体性であり、純粋な超越論的主体の位置に含まれる徹底した否定性である」(『仮想化しきれない残余』p198)。

2011-02-14 22:52:21
げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

そういえば以前にも話がでたような気もしますが、ジジェクは死の欲動と崇高性には密接な連関があると主張しています。これは彼の博論の『最も崇高なヒステリー症者ヘーゲル』には書いてあったのですが、『イデ崇』では、崇高論自体は残っているのに、この指摘の部分はなくなってしまいました。

2011-02-14 22:58:53
げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

まぁこのテーゼ自体は『脆弱なる絶対』でまた出てきますが。要点は崇高なものとは象徴界の矛盾/裂け目において垣間見られるものであり、死の欲動=否定性がそれを生み出すのだということだと思います。

2011-02-14 22:59:20
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

よくわかりますー!ww。だってバタイユも死の欲動のことを関連付けていってますものww。しかも「神の死」とあわせてやってるところですそれw。だからバタイユは、フロイトとニーチェの変形なんだす…と。

2011-02-14 23:05:34
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

いやしかしケイさんのついーとはまさに〈非-知〉的だった。

2011-02-14 23:16:37
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

ジジェク凄く面白そう。これは読まなきゃ損だまじで。後追いですが読んでみます。げしゅさん、今日は本当ありがとうございます!

2011-02-14 23:26:57
げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

@Abraxas_Aeon いえいえ、こちらこそどうもでした。

2011-02-14 23:51:10
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

バタイユの美とか崇高とかの体験(非-知的体験)への情熱に関して芸術面から見たい場合は「ラスコーの壁画」だと思う。晩期には〈非-知〉って言葉は使われなくなってくるんだけれども。 

2011-02-15 21:33:15
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

もちろん『エロティシズム』も外せないだろうと思う。『沈黙の絵画(マネ論)』は何故か価格沸騰してる(泣。

2011-02-15 21:45:37