〈経験的=超越論的二重体〉をめぐって-ハイデッガー・フーコー・ジジェク-

〈経験的=超越論的二重体〉をめぐっての私(@Abraxas_Aeon)とげしゅ☆ぺんすとさん(@Gespenst177)の議論です。主にフーコー、ハイデッガー、ジシェクにおけるカント理解を取り扱っています。フーコーとジシェクの見解の違いに驚きです。
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アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

フランスの歴史的伝統や哲学的伝統に置いては(このことは西欧一般に打倒すると思われるが)、主体や反省性や自己認識などの問題の分析全体の導きの糸として特に重視されていたのは、〈汝自身を知れ〉という自己認識であった。(M・フーコー)

2010-08-30 14:00:48
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

しかしこの〈汝自身を知れ〉ということだけを独立して考えてしまうと、偽の連続性が打ち立てられ、上辺だけの歴史が作られてしまう。つまり自己認識の連続的な発展のようなものが考えられてしまうのである。この連続的発展は二つの方向で復元される。(M・フーコー)

2010-08-30 14:02:14
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

1.プラトンからデカルトを経てフッサールに至る、根源性という方向。2.プラトンから聖アウグスティヌスを経てフロイトに至る経験的拡張の方向での連続的な歴史。このどちらの場合も、明示的にであれ、暗黙の内にであれ、主体の理論が練り上げられずに、背後に残されてしまう。(M・フーコー)

2010-08-30 14:05:04
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

そして私が示そうとしたこと、私がしようとしていることは、この〈汝自身を知れ〉を、ギリシア人が〈自己への配慮〉と呼んだものの傍らに置くこと、更には自己への配慮という文脈や土台の上に置くことなのである。(M・フーコー)

2010-08-30 14:10:19
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

『言葉と物』の最後「〈人間〉は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう」という文。実はそれは、カント自身が予告していたものであり、カントそのものからニーチェの超人的なものが読み取れるとしたら…。という発想がフーコーから読み取れるのが非常に面白い。

2010-08-30 19:05:40
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

これが実は1961年執筆の『狂気の歴史』の副論文『カントの人間学』と最晩年の講義にも共通して見られるのである。私が今日の昼に引用しておいたフーコーの講義にも。プラトンからデカルトを経てフッサールに至る根源性という方向の先に連なる者達のもたらした人間学主義の迷妄とその超克について。

2010-08-30 19:17:54
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

ハイデッガーの『カント書』たけぇよ・・・。

2010-08-30 20:27:29
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

それにしてもフーコーは独語の仏語への翻訳能力も長けていたようだ。彼との関連に関係なくゲシュタルトについて学ぼうと思い、ヴァイツゼッカーの『ゲシュタルトクライシス』を見た時、アンリ・エーの解説にそれを仏訳した人がフーコー(とダニエル・ロシェ)だとあってびっくりしたことがあったけど。

2010-08-30 20:38:12
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

ちなみに『狂気の歴史』を主論文に、『カントの人間学』を副論文として出したとき、フーコーはカントの『人間学』も自分で仏訳して添付したそうな・・・。

2010-08-30 20:42:39
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

哲学的人間学:フッサールの弟子シェーラーが提唱。「人間とは何か、そしてまたその存在における状況はいかなるものか」という問いに、生物学・医学・心理学・倫理学・社会学・邦楽・歴史学・神学などの諸学の交点で答えようとするもの。

2010-08-30 21:48:32
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

シェーラーの友人であったハイデッガーは、『カント書』の中でこの「哲学的人間学」の問題提起に一定の評価を与えながら、更にそれを乗り越えて「基礎的存在論」を構想することの必要性を説く。

2010-08-30 21:52:32
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

フーコーが『カントの人間学』の中で取り扱っている「哲学的人間学」とは、カントの主要三部作に続いて、『論理学』において付け加えられた「人間とは何か」という四つめの問いに経験的な水準で取り組みながら、超越論的で規範的な知として自身を示すような認識一般のことをさしている。

2010-08-30 21:59:32
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

フーコーが後に『言葉と物』の中で近現代のエピステーメーの転換時に生じたとしている〈経験的=先験的(超越論的)ニ重体〉としての〈人間〉は、このカントの同時代から20世紀に至る「哲学的人間学」の潮流によるものと位置づけられる。

2010-08-30 22:08:50
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

フーコーが『言葉と物』の中で、〈人間学主義〉とか〈人間学的配置〉とか〈人間学の四辺形〉とか言って、それを根こぎにすべきだといっているところは、この「哲学的人間学」が斥けられるべしと言われているのである。事実『カントの人間学』の中では、そう言われている。

2010-08-30 22:12:21
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

フーコーはこの「哲学的人間学」の潮流の中にフッサール、サルトル、メルロ=ポンティだけでなく、ありとあらゆるところで「自分の方向性を決定づけた哲学者だ」と言及しているハイデッガーをも含めていたと考えられる。

2010-08-30 22:17:47
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

正確には再読したということです。というか、再読して後期フーコーとかとの関連をきちんと考えさせられてマジで良かった。絶賛オススメ中。

2010-08-30 22:35:36
zutabukuro @ClothSack

『フーコー・コレクション3言説・表象』に収録されている「ニーチェ、系譜学、歴史」でもハイデッガーについて言及していた気がします。RT @Abraxas_Aeon フーコーはこの「哲学的人間学」の潮流の中にフッサール、サルトル、メルロ=ポンティだけでなく、ありとあらゆるところ

2010-08-30 22:36:41
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

@ClothSack あれはマジでフーコーにおける数少ないニーチェ論ですよね~。ニーチェ-フーコーの線を考える上でも重要な位置づけになると思いますが、ハイデッガーも。個人的には難しいですけど…。

2010-08-30 22:48:28
げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

@Abraxas_Aeon 今日もフーコーの引用非常に興味深く読みました。フーコー的にはカントからハイデガーにいたるまでの多数の哲学者が「経験的-超越論的二重体」としての人間という根本観点から遂行される「哲学的人間学」をやった人であり、それは乗り越えられるべきというか、終わるって

2010-08-30 22:52:41
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

@ClothSack しかしハイデッガー本人についてそのものを取り扱おうとした論考はないような気がしました…。6に収録されている「道徳の回帰」に、遂に死を迎えようしているフーコーがハイデッガーについて言及していて、彼についてとったノートは「ここに何トンもある」とかいってましたがw

2010-08-30 22:52:55
げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

@Abraxas_Aeon いうことだと思いますが、自分はジジェクが好きで、彼なんかはまだ「経験的-超越論的二重体」からものを考えています。それでもし暇だったら聞きたいのですが、フーコーはこの語をどのように把握していたんですか。単純にこれが終わるとか想像できないんです、自分には。

2010-08-30 22:57:39
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

@Gespenst177 そうですね、スキャンダルにもされた「人間の死」にまつわる話です。まずこの「人間の死」について、私は『狂気の歴史』『言葉と物』『監獄の誕生』で共通して語られていると考えてます。そして「人間の死」といった場合「哲学的人間学」の〈人間〉が消滅するという意味と…

2010-08-30 23:00:07
げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

@Abraxas_Aeon って、なんか質問ばかりですいません。まぁ読めって話ではありますよねw。

2010-08-30 23:01:12
zutabukuro @ClothSack

今日はもう眠くなってきたので、もう寝ようと思います。 Abraxas_Aeonさん、フーコーのハイデッガーノートが「何トンもある」話は初耳でした。有意義なお話をどうもありがとうございます。そんなこんなで、皆さん、good night

2010-08-30 23:01:37
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