バタイユとラカン=ジジェクPart2-「神の死」と「現実的なものへの情熱」について-

げしゅさんとの議論をまとめてみました。 (途中のケイさんのツイートはまさに〈非-知〉体験でした)
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アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

エロティシズムがあからさまに描き出され、ある裂け目の意識をのぞかせた、この小著(『マダム・エドワルダ』)への序文は私にとって、私の悲壮への志向を唱えるための好機である。(G・バタイユ)

2011-02-15 22:04:46
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

精神が己自身から顔を背け、いわば背を向けて、その頑固さの中で自己の真実の戯画となるのは、私の目にはさほど驚くべきことでもない。たとえ人間が嘘を必要とするにしても、要するに、それは人間の勝手というものであろう!多分自尊心のある人間も、人間の集団には溺れるのだ。(G・バタイユ)

2011-02-15 22:06:35
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

それはそうとして、私が決して忘れることができないのは、〈現に起こっていること〉、〈現に在ること〉を、眼を開いて正面から見据えようとする意志に結びついた、暴力的で驚異的なものである。(G・バタイユ)

2011-02-15 22:08:55
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

もし私が極端な快楽を少しも知らず、極端な苦痛を少しも知らなければ、〈現に起こっていること〉も知りえないに違いないのである。(G・バタイユ)

2011-02-15 22:10:25
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

晩期はこうやって、〈非-知〉的体験への情熱(或いは未知のもの・不可能なものへの情熱)を、難解な言葉を使わないで、同じ意味を説明し得ている。

2011-02-15 22:14:13
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

タナトスと崇高概念ということだったら、バタイユならまさしく『エロティシズム』ですよね。

2011-02-15 22:25:04