- Uroak_Miku
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今朝もキティ論の続き。書きながらまたひらめく。予定していた論旨が狂うので勘弁してという気持ちと、ノーベル賞!という誇らしさが入り混じる。気が滅入ってしまいそうになると素晴らしいひらめきが天から下って高揚する…日々この繰り返し。
2016-10-14 08:47:37論を綴るのは難しい。自分としてはもはや自明事項でも「そこがよくわからない、こうはならないんですか」と素朴なツッコミが聴衆から飛んでくることがあるから。高校生用の微積の参考書がきまって途中で「おおらかな気持ちで」といいだすのは無限小の理論をあえてとばすための枕詞ですが[続く]
2016-10-14 10:19:15[続き]その手はできれば使いたくない。無限小という悪魔は知性の力で囲い込んでみせたい、それも簡潔明瞭に、イメージ豊かに。つまり論理性と比喩の能力の両方が問われる。右脳と左脳の葛藤、衝突。じりじりと前進していく。
2016-10-14 10:21:19キャラクター論なのにまるでフェルマーの最終定理の完成に挑んでいるよう。今度こそどうだ!と思ったのにまた指のあいだから小悪魔がすり抜けていく。それでもだんだんと包囲網ができていく。
2016-10-14 10:28:351)外国人には「腹痛」といっても伝わらないことがある。「おなかがいたい」なら通じる。「腹痛」は書きことばの世界の住人で、「おなかがいたい」は話しことばの世界の住人だから。前者はいってみれば紙の上の電脳空間。
2016-10-14 10:44:492)公園を歩いていると、おとなも子どももスマホを握ってうろうろしている。私はスマホを持ち歩かないので、そんな姿が不思議に思える。喩えるならば話しことばの世界オンリーで生きているのが私で、うろうろしてるひとたちは書きことばの世界に片足を突っ込んで生きている。
2016-10-14 10:46:576)キャラクター商品というもうひとつの仮想現実空間にさらされたから。 pic.twitter.com/CKPYMYuVre
2016-10-14 10:52:578)ところでミッキーマウスのノートと置時計は、キャラクター商品というくくりにおいては同格とされるのですが pic.twitter.com/ltoM1JZAUQ
2016-10-14 11:02:039)ノートの場合はミッキーを印刷して終わりだから手間も金もかからないのに対し、置時計それも外観をミッキーにしたものとなると、大量生産のための金型を用意しなくてはいけないぶん金がかかる。
2016-10-14 11:03:3612)数学の世界にどうして正の数と負の数があるのかというと、次元の考え方と私たちの体感のあいだにずれがあって、それを埋めるための工夫として発明されたのです。
2016-10-14 11:06:4814)そうはいっても・とーを同一のものとして受け入れろだなんて、日常の体感に反しますよね。そこで便宜的に正の数/負の数という二分法を設けるのです。
2016-10-14 11:08:53縦3m、横マイナス2mの土地の面積はマイナス6m? - Togetterまとめ togetter.com/li/1027648 @togetter_jpさんから
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