「破斯清道」は本当にペルシャ人なのか?「はじ」(土師)とも読めることに気付いた…【平城宮式部省木簡】

難波宮木簡に「皮斯米之刀斯」(はじめのとし)と書かれていたとのことなので、破斯は「土師」(はじ)とも読めるのではないしょうか?「賀茂」を「慶滋」と書いた10世紀の例があります。穴穂部(あなほべ)を「孔王部」と表記した木簡・戸籍も存在している。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

今日の戦利品その1です。 奈良「地下の正倉院展」「呉越国展」 置いたつもりはないのに、近鉄百貨店奈良ファミリーの店内ごあんないが一番前に写っていた・・・往復4時間近く運転してちょっと疲れたようです。 pic.twitter.com/Jj5vZ24plf

2016-10-15 22:18:37
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平城宮跡資料館の「地下の正倉院展」に行ってきました。
展示内容は、3期に分かれていて、見てきたのは第1期です。

式部省木簡の「破斯清道」の木簡は、レプリカが展示されています。
報道の続報で紹介された、胡人風の人物を描いた木簡も画像で紹介されていました。

第2期(11月1日~)になると、「破斯清道」木簡の本物が展示されるとのことです。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

今日の夕方です。復元された平城宮大極殿(第1次)の向こうに、月が登ってきました。 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも pic.twitter.com/hgx5Y15QVY

2016-10-15 22:51:47
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

東大寺の大仏殿と若草山。 復元された平城宮大極殿からは、このように見えることが分かりました。 帰ってから調べてみると、この大極殿は聖武天皇が解体して恭仁宮に持って行ったので「この風景は存在しなかった」ようです。 大仏殿創建のときには、隣の敷地に「第2次大極殿」があったようです pic.twitter.com/cajUIswDRl

2016-10-15 23:10:45
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↓ 更に最新情報が寄せられました。新しいまとめ

巫俊(ふしゅん) @fushunia

「続報!「破斯清道」は正倉院文書「土師浄道」と同一人物か!?ペルシャ人では無かった日本の下級官吏はじのきよみちの17年後の昇進について」をトゥギャりました。 togetter.com/li/1037887

2016-10-17 17:48:07