続報!「破斯清道」は正倉院文書「土師浄道」と同一人物か!?ペルシャ人では無かった日本の下級官吏はじのきよみちの17年後の昇進について

平城宮式部省木簡の765年の「破斯清道」(はじのきよみち)は、正倉院文書の748年の「土師浄道」(はじのきよみち)と同一人物と思われ、無位で任官できる「春宮舎人」から、従八位上相当の「大学大属」の定員外ポストに昇進していたと見ることができる。
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原田 実 @gishigaku

表記が流動的な時代なら、かっこいい当て字もありですからね。 @s_hskz

2016-10-16 11:37:13
shs_kz @s_hskz

.@gishigaku こちらにも格好いい当て字の例がありまして、参考にして今朝起き抜けにググったら土師清道にぶつかった次第です。

2016-10-16 11:42:31
shs_kz @s_hskz

.@gishigaku あっURL を記載しませんでした。 twitter.com/fushunia/statu…

2016-10-16 11:44:13
巫俊(ふしゅん) @fushunia

まとめを更新しました。「「破斯清道」は本当にペルシャ人なのか?「はじ」(土師)とも読めることに気付いた…【平城宮式部省木簡】」 togetter.com/li/1037244

2016-10-16 01:09:50

出師?土師?(表記の揺れ)

shs_kz @s_hskz

.@fushunia ええと、資料のあの部分では〈出師〉になっちゃててまして、私はそのまま紹介しました。他の部分では、土師となっていますのでご安心ください

2016-10-16 19:46:23
shs_kz @s_hskz

.@fushunia千部法華經料納物帳」(『正倉院文書』) に、撰述日天平感寶元年(西暦749年)5月1日で、 〈正月十日自内裏給出紙四千二百張[既經紙 使春宮舎人土師浄道]受装〓≪さんずい+黄≫能登忍人〉 とあったりもします。

2016-10-16 19:53:43
shs_kz @s_hskz

.@fushunia キーワードを "浄道" site:tobunken.go.jp としてGoogle検索してみてくださいまし。 出師は このサイトの通りコピペしております。

2016-10-16 19:56:35

検索結果

http://www.tobunken.go.jp/~bijutsu/database/saishiki/contents/colorR/ryokuhan.html

「独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所 ホームページ」より

『正倉院文書』正集39裏書は、「春宮舎人出師浄道」
『正倉院文書』大橋本7は、「春宮舎人土師浄道」
『正倉院文書』續々修5帙6は、「春宮舎人土師淨道」

『大日本古文書』が出典です。詳しくは、リンク先をみてください。

清道と浄道

shs_kz @s_hskz

.@fushunia ところで弘仁年間の貴族である石川浄道ですが清道とも記される場合があるようでして。弘仁と天平神護とでは50年ほど離れてはいますが、くだんの木簡の破斯清道が、浄道の異表記だとする仮説の支持材料のひとつになりはしないかと存じます。

2016-10-17 11:55:50

阿倍仲麻呂も木簡だと、漢字の表記が少し違うようです。

shs_kz @s_hskz

引用‖奈良文化財研究所の渡辺晃宏史料研究室長によると、このペルシャ人は日本の役人が教育を受ける施設で働いており、ペルシャが得意としていた数学を教えていた可能性があるという。

2016-10-17 11:58:56
shs_kz @s_hskz

@s_hskz 日本の数学史分野で、ペルシアの影響を受けたという話はあまり聞いたことがありません。うーむ。

2016-10-17 12:01:05

発音は変化する

shs_kz @s_hskz

破斯清道」は土師氏族の者ではないかという仮説は確かに面白いのですが、ひとつ個人的に未調査の点がありまして、天平の時期に土師のヨミがまだまだ〈はにし〉であったかどうかですね。土師部は、最初期はハニシ部ですし。

2016-10-17 12:14:00
shs_kz @s_hskz

一例を。〈羽生〉は当初「ハニフ」なのですが、その後に、「ハニウ(⇒ハニュウ)」に変化したり、また、「ハブ」に変化したりしています。後者のパターンでは、ハニフのニの発音が弱くなりnに変化、これが後続のハにかぶさって濁音化してハブになっていくわけです。

2016-10-17 12:18:15

丹波 タニハ→タンバなど

shs_kz @s_hskz

土師ハニシのニの発音が弱くなってnに変化、これが後続のシにかぶさって濁音化してハジになっていった時期が問題で、たとえば平安時代中期とか室町時代だったりすると、天平神護の「破斯」が「土師」だとすることには無理が生じてきます。

2016-10-17 12:22:04
shs_kz @s_hskz

音韻の変化と表記の変化は一緒とは限らず面倒なのですが、日本語表記史の分野からはどのような分析がなされるのか、ちょっと心配です。

2016-10-17 12:24:43
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@s_hskz 万葉集に「造駒 土師乃志婢麻呂」(こまつくる はじのしびまろ)と続く歌がありますので、「ハニシ」はすでに「ハジ」になっていたと思います。オシサカベ(忍坂部)も早い段階でオサカベ(刑部)になっていますし。

2016-10-17 13:56:47
shs_kz @s_hskz

@fushunia 天平の時代に活躍した歌人土師水通がからんだ歌ですね!! 安心しました。

2016-10-17 14:59:09
shs_kz @s_hskz

巫俊さんが最後の謎解きをして下さったので、奈良市の平城宮跡で出土した「天平神護元年」(765年)と記された木簡の「破斯清道」は、「土師浄道」でオッケーっぽい気が満々。

2016-10-17 15:07:49

はじのきよみちは、どんな仕事をしていた?

shs_kz @s_hskz

@fushunia 私のイメージでは 春宮 (とうぐう)に勤めていたほうが 地位が高そうな気はいたします。私の思い込みかもしれません。

2016-10-17 12:33:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@s_hskz 調べたところ、春宮舎人定員600人の雑用実務官で、官位相当は「無位」とのことです。「無位」は「実質的に一つの位階として機能した」とあり、舎人の上司舎人令史(四等官のさかん)でも位階は少初位上なので、大学大属(従八位上)の方が上です

2016-10-17 14:21:12