物語論・キャラクター論に関する一連の論考

@no_num さんの疑問を皮切りに,@helpline @s_mirai @nycity1022 が自然に集まって行った物語論・キャラクター論に関する一連のツイートをまとめました.(関係ありそうなツイートを時系列順に並べただけです.) @hondeju さんも参加されていましたが,TLが非公開なため,このまとめには入っていません.
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. @numnumednumed

@helpline @s_mirai @nycity1022 データベースというのは所謂「テンプレ」だと思いますがテンプレに則さないキャラクターも「非テンプレ」としてキャラ化されてしまうのではないでしょうか。

2011-02-21 02:33:50
. @numnumednumed

@helpline @s_mirai @nycity1022 なにもかもデータベースに還元されてしまうとは思っていませんが、やはり多くはデータベースに還元されてしまう。ではされてしまうものとされないものの区別はどこにあるのかというのが僕が興味をもっているところです。

2011-02-21 02:39:47
みらい@乱きゅん @s_mirai

おおむね同意です。もともと超越的・普遍的なものがあったのではなく、実はなかったことがポストモダンにおいて指摘されるようになったと僕は理解しています。無論、データベースが今や大きな非物語として超越性を代理しているらしいのですが、この点は論じる自信が……w @no_num

2011-02-21 02:40:03
みらい@乱きゅん @s_mirai

非テンプレが新たにキャラ化するというのは同意で、ここは動ポモの中で、新しい要素がまたデータベースに回収されて再利用される、というモデルが提出されていたはずです、多分。「新しい」ものは、そりゃ真似されて古びますからね……。 @no_num

2011-02-21 02:41:19
みらい@乱きゅん @s_mirai

もちろん僕も迷子なので、あとはhelplineさんとnycityさんにお任せして、僕もゆっくり考えてみますね……w お休みなさい。 @no_num

2011-02-21 02:42:18
Naohiko Yamaguchi @nycity1022

@hondeju 興味を持って頂いてありがとうございます.私は文学が専門でもなんでもないのですが,思う所は色々ありますので,これからも何らかの形でアウトプットしていけたらと思います.ぜひご意見をお聞かせ下さい.@s_mirai @helpline @no_num

2011-02-21 10:58:38
Naohiko Yamaguchi @nycity1022

@hondeju 思い付きで書いた表現なので改めて問われると説明が難しいのですが…キャラは部品が少なすぎると没個性的で機能を失います。逆に詰めすぎると矛盾したり、物語がキャラ特性を拾いきれなくなったり、他キャラとの差異化が困難になって逆に没個性化してしまう…という感じでしょうか。

2011-02-21 12:00:20
Naohiko Yamaguchi @nycity1022

@hondeju ただ、ここで悩ましいのは、「型通りの定型キャラ」を指してキャラが立っていると称する考え方もかなり強いのです。私達が行ったアンケート調査にもその影響は見えています。この考え方だと、むしろ没個性性がキャラ立ちの要件になってしまう…あぁ、難しい。

2011-02-21 12:55:43
Naohiko Yamaguchi @nycity1022

@hondeju そうなんですよね,結局個性的であろうとしてみんな同じレヴェルになってしまっていると思うので,私としてはそれをもって「キャラが立っている」というのは,真理を見ていないように思います.神話の崩壊を柱とするポストモダニズムの考え方とも矛盾しそうですし.

2011-02-21 13:49:41
Naohiko Yamaguchi @nycity1022

@hondeju あぁ,なるほど.ローカルコミュニティの中で共有されている物語は「小さな物語」と捉えるわけですね.構造主義がいう所の大きな物語は国家単位や文化単位の話だったわけですから,それに比べれば十分小さい.私もまだまだ近代思想の勉強が必要ですねぇ…

2011-02-21 14:15:56
Naohiko Yamaguchi @nycity1022

@hondeju ううーん…一元論にはならないですかね…純粋に個性を追求する考え方と,パターナリスティックを求める考え方の二元論にせざるを得ないのか…

2011-02-21 14:34:34
Naohiko Yamaguchi @nycity1022

@hondeju まさにその通り,純粋追求の個性は情報量概念とマッチします.情報量は,他者とはっきり区別されうる情報を持てば持つほど値が増える量なので,ほぼ直接キャラ立ちの指標たりうる可能性があります.パターナリスティックなキャラ立ちはむしろ逆に近いベクトルなんですよね.

2011-02-21 14:51:19
. @numnumednumed

「大きな物語」って書くからわかりにくくなる。大澤真幸「第三の審級」でもいいしラカン「大文字の他者」でもいい。微妙に違ってくるのかもしれないけれど、とりあえずの意味は一緒。

2011-02-21 17:40:21
. @numnumednumed

でもやはり「大きな物語」が適してるのかな。「大きな物語」が失われようが物語の価値っていうのは変わらない。むしろ歴史のなかで「大きな物語」とされてきたものが並列の価値をもち、多様な「大きな物語」を物語から垣間みることが出来る。

2011-02-21 17:42:29
. @numnumednumed

そういうみかたはデータベース的なのかもしれないが、価値の多様化をみとめればそうならざるを得ない。ただ大きな物語のデータベースとキャラクターのデータベースの意味合いは変わってるのかなとは思う。

2011-02-21 17:44:37
. @numnumednumed

データベース化された大きな物語はもはや大きな物語ではないから違う言い方をすべきなのかな。まあ、とりあえず、大きな物語のデータベースは社会思想。キャラクターのデータベースは分解されたあらゆる要素。

2011-02-21 17:46:34
. @numnumednumed

力は弱まったにせよ、データベース的大きな物語にはまだ政治に影響を与える力はある。もう一方は社会現象にはなるかもしれないけれど、思想はない。

2011-02-21 17:48:35
. @numnumednumed

といったことを思った。やっぱり書きながらの思考が一番やりやすいなあ。すぐ間違いだったって気づくこともあるから誤解されやすいのかもしれないし、しっかりした検証はできてないけど。「大きな物語」があろうがなかろうが物語は有効だと思う。

2011-02-21 17:50:00
. @numnumednumed

ああ、なるほど。僕は現実がどう変容しようと、虚構を現実としてとらえようと、けっきょく現実において僕がどう行動するかがもっとも重要で、そこに大きな物語などあろうがなかろうが関係ないんだな。

2011-02-21 18:07:27
. @numnumednumed

大きな物語をだれかと共有するためにコミュニケーションをとるわけでもなければ、自分の趣味・価値観の共有を誰かとするために物語を読むわけでもない。だからデータベースがあろうがなかろうが関係ないし、それを参照してつくられた小説は興味の対象外なわけだ。学びとれる物語がないかぎり。

2011-02-21 18:09:38
. @numnumednumed

なにかを学ぶために小説を読むわけではないけれど。

2011-02-21 18:09:52
. @numnumednumed

そこで、その興味のあるものとないものの境界がどこにあるのかってことだな。

2011-02-21 18:10:43
. @numnumednumed

自然主義的読解に対して新しい概念として環境分析的読解と書いているけど新しいのか?。構造主義的視点との違いは?物語をただ登場人物の視点で読むのではなくて物語の外から物語を眺め、現実や環境との対応関係をみる。「物語の物語」なんてもろそうだし、そういう読解は僕が生まれる前からやってる。

2011-02-21 18:56:20
. @numnumednumed

オースターの初期作品を「物語の物語」と批評した三浦雅士さんは、その作品を訳した柴田元幸さんが大学時代に読み影響をうけた本のひとつを書いている(私という現象)。そのときすでにそういった視点の萌芽があったように思うんだけどな。

2011-02-21 18:58:35
. @numnumednumed

オースターは「物語についての物語」だな。「物語の物語」はエンデ『はてしない物語』とかだ。

2011-02-21 23:40:00
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