『人は手に入れた道具は使いたがる』
- marianna_ave
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たとえば「対立」を表現するのに両頭矢印「←→」を使っちゃどうか、とさっき書いたが、A・Bという2者間の構造は他にも無数にある。対立している場合、協力している場合、ライバルであり友であるというジャンプ的関係、取引をしている関係、通信をしている関係、などなどなどなど
2011-02-22 14:19:20最初のうちは、それら無数に存在する「関係」に対してそれぞれ別個の記号を定義づけようとしたのだが、なにしろ「無数に存在する」ので、実際には不可能だということがわかった。たとえ「定義づける」ことができたとしても、それを覚えて使うことは不可能だと。
2011-02-22 14:21:45もうひとつ分かったのは、ある難解な文章が理解しづらい、という場合、その理由は「文章」という表現形式よりは、書き手と受け手の脳内における認識、認知の問題だと言うこと。そのため、記号の体系が仮に出来たとシてもそれではカバーできない。
2011-02-22 14:24:4924年前、僕は「記号の体系」を作るために、いろいろな文章を読んでその論理構造を記号化しようとした。 ところが、文章では分からない論理構造が、記号化すればわかるか、というと・・・・
2011-02-22 14:28:08文章の状態で論理構造がわからないような文章は、記号化しても結局分からない、ということが判明したのだ(笑) 今なら、そりゃそうだよな当たり前~というところだが。
2011-02-22 14:29:37そんなある日のこと、立ち寄った古書店である本が目に止まった。「図の記号学-視覚情報による情報の処理と伝達」というタイトルだった。これは何だろう・・・・と気になった僕はとりあえず買って帰った。
2011-02-22 14:35:35この本です→ http://www.amazon.co.jp/dp/B000J7J2YE 図の記号学 絶版本なので中古でしか手に入りませんが、実に面白かった。「視覚情報による情報の処理と伝達」まさにこのタイトル通り。複雑な情報を視覚表現する手法の宝庫だった
2011-02-22 14:38:12ある構造を表現するために、ある記号を決めたとする。 「状況Aに当てはまる場合は、a記号を使う」「Bの時は、b記号」「Cの時は、c記号」・・・・とどんどん「こういう場合は、こういう記号を使えばよい」という形で手法化、メソドロジー化を図ると、
2011-02-22 14:45:05すぐにぶつかるのが、「Aならaを使う、Bならbを使うというのはわかりました。 でも、今がAなのかBなのか判断がつきません」という問題。
2011-02-22 14:46:32ケースを特定すれば、特定の有効なメソッドを語ることはできるが、現実には「今がどのケースに当てはまるのか」という判断力を磨かなければメソッドは使えない。
2011-02-22 14:47:34この判断力は結局のところ、誰かから手法を教えてもらって覚えて使うような種類のものではなく、自分自身がリアルな問題に立ち向かう中で集中して考え、「今はAのケースに該当する」と自分で裁定を下し、その結果を引き受けるという経験を通してしか身につかない
2011-02-22 14:50:35こうした「今はどのケースに該当する」という判断をする場面には、形式論理の出番はない。形式論理が役に立つのは、その先の段階だ。率直に言って、形式論理が役に立つのは問題のフレームワークがある程度見えた後の話で、問題の難所はとっくに過ぎた後というのが相場。
2011-02-22 14:53:56そういえば、自然言語を代替できるような「記号の体系」を考えようとして挫折してわかったのは、「記号の体系」は特定の分野に限定して考案し応用するならきわめて有効だ、ということ。
2011-02-22 15:11:53分野を限定して、必要な記号の種類を少数に絞れば、多くの人が共通に扱え、習得できるようになる。そうなれば、共通言語として機能する。だからたとえばIT業界でフローチャートやERDやUMLが役に立つ。
2011-02-22 15:13:52こちらもお勧め!読むべし。 『人は手に入れた道具は使いたがる』 http://togetter.com/li/104182 RT @marianna_ave: @kaimai_mizuhiro さんのツイートをメインに作成しました。
2011-02-22 20:24:52