映画『聲の形』徹底分析

4回観て、分析してみました。これは一つの仮説です。もし、ご興味を抱かれたとしたら、ぜひとも、もう一度映画をご覧になって確認してみてください。
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富崎学 @manaboo2009

『聲の形』意識が戻った将也が最初にしたことは硝子に面と向かって自分の過ちを認め、はっきりと謝罪することだった。将也は彼女とずっと関係を修復してきたが結局のところ彼はそのことからずっと逃げてきた。だが、それを曖昧にすることが彼女を傷つけ続けていることに気付いたのだろう。

2016-10-26 23:36:54
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』ここで将也はやっとのことで硝子とちゃんと向き合うことができた。改めて将也は硝子と本当の友達になりたいことを告げる。硝子は手話で「約束」する。将也は硝子だけでなく他の皆とも向き合う覚悟を決めていたがそんな力も勇気もない彼が素直に彼女に助けを求めたところはリアルと言えよう。

2016-10-26 23:48:42
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』でも、考えてみると「生きるのを手伝ってほしい」というのはあまりに甘えた言葉ではないのか?だが、それはあまりに弱々しい今のありのままの自分を認めてほしいということと同義であり、信頼の証しでもある。それを素直に言えること。そして、言える機会を逃さないこと。確かな変化である。

2016-10-27 22:44:36
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』ラスト文化祭シークエンス。決意を固める将也だが硝子に付き添ってもらいながらもやはりダメダメな感じでクラスを後にする。永束君の強烈な後押しを受けた将也は川井とも向き合う。床に映る姿しかみれない将也だがはっきりと川井に謝罪をすることに成功する。それがいかなることであるか?

2016-10-27 23:02:49
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』ここでの真柴は常に傍観者であり明確な部外者だ。だが、だからこそ客観的に将也を見つめる存在でもある。そんな彼が、素直に自分の非を認め、積極的に川井と関係を修復しようとする将也の態度を見て思わず口にする「君はすごいよ」という言葉ほど将也を賞賛する言葉はほかにないだろう。

2016-10-27 23:20:29
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』そこへ登場する植野。硝子に指文字で「バーカ」と言う。またしても手話を覚えてきた存在に感激する硝子だが図らずも?正しい指文字を表すために植野に「バーカ」と返す。彼女の笑顔はいたずらっぽくみえる。バカバカ言い合う二人。これこそいじめっ子といじめられっ子の仲直りではないかw

2016-10-27 23:26:51
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』それを見守った将也は「みんなと一緒に文化祭を見て回りたい」と言う。これは硝子に言ったのと同じ信頼の証しに他ならない。校庭に出るメンバー。だがこのシーンは以前どこかで見たシーンではなかったか?あの時と同じく無邪気に遊ぶメンバー…これは遊園地シークエンスの再現に他ならない。

2016-10-27 23:34:57
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』遊園地シークエンスの広い空と同じ文化祭の空。遊園地で将也が夢見た世界が今、現実のものとなる。ゆっくりと耳を閉じていた手を広げる将也、それと同時に群衆のバツ印が一斉に落ちる。彼の目と耳に飛び込んでくる世界はとてもやさしかった。そう受け取れたのは皆の力と彼の勇気だった。

2016-10-27 23:50:37
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』こうして石田将也はようやく解放される。今まさに生まれたかのように涙が止まらない将也を見ていると筆者は思わず聲をかけたくなる。エヴァンゲリオンじゃないけれど、冗談ではなく本気で心の底から「おめでとう」と言いたい。そして、この物語のすべての仲間たちに、「おめでとう」。

2016-10-27 23:58:49
富崎学 @manaboo2009

さて、これで僕の映画『聲の形』に関するツイートはとりあえず終わりです。長々と、ある意味、だらだら惰性で続いていたかもしれないひとり語りにお付き合いいただいた方々に感謝します。ツイートはトゥゲッターにまとめておきます。書き足りないところ、映画論的なところは、いずれブログでw

2016-10-28 00:04:28
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