おっぱいの神学―美学的アプローチ・崇高からの接近―
あ、そうそうもう一個書こうと思ってこと忘れてた。「art」の訳が日本語では漢字の「芸術」とカタカナ語の「アート」と2種類あります。一般的に同一のもとのされていますが、僕は次のように使い分けたいと思う。
2011-02-25 23:40:37artの広義の意味はゼードルマイヤーを踏襲して感性的物件または感性的表現物。どの作品も感性に訴えかけるという点で共通している。そのうえで狭義の意味として、権威を獲得したものを「芸術」、まだ未熟なもの・権威を拒否するものを「アート」という。
2011-02-25 23:44:17まず表現とは①作家が何かしらの意図を持ち、②その意図を素材・媒体を介して形象化させることだと思われる。この定義に沿っておっぱいを考えると、作家の意図が欠けているのではないかというある意味当然の疑問が立ち昇る。
2011-02-26 00:23:33しかしその場合、例えば男性が豊胸した場合などはどうなるだろうか。男性(作家)が女性らしさを得よう・表現しようと(意図)、シリコンを使って(素材)形象化されたおっぱいは表現物ということになりえるのではないか。
2011-02-26 00:27:16この視点はまことに正しい。 RT @truetomb 表現の意図を重視していては、巨乳にコンプレックスを感じている娘のパイが否定されてしまいます!!
2011-02-26 00:33:19そう、おっぱいに表現の意図を求めることは不合理だ。おっぱいとは人間の思惑を超えて存在する。だからこそ女性たちは自身の胸に悩み、男性はその姿を愛おしく思うのだ。
2011-02-26 00:35:41美学の「崇高」の概念こそおっぱいの本質であると筆者は主張する。崇高とは人智を超えた自然の力の前に無力な人間が立った時に感じる、自然との同一感であると言える。険しい山々を前に神々しさに全面的に降伏する様な陶酔感、それが崇高である
2011-02-26 00:41:31@hirdegard やはり「崇高」か……そんな気はしていた。しかし我々とパイとの関係はそのような隔絶からの合一ではなく、もっと触れや触れずやの緊張関係のうえに成り立っているのではないでしょうか。
2011-02-26 00:46:49