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専門家が専門に引きこもってしまうのが良くないと思っている。すべての分野は隣り合っているはずなのに、隣の分野との連携という発想が不足している。専門家はもっと雑学を深めなければならないと思う。
2016-12-14 00:36:07学校教育も同様で各教科がもっと連携する必要がある。なぜ今それを学んでいるのかわからない・想像がついていないまま学校に通っている子が多いと感じる。社会の授業で数学の先生が統計を教えたり、国語の授業で情報の先生がSNSについて話したり twitter.com/eserver_dip_jp…
2016-12-14 00:46:29@eserver_dip_jp 隣の分野との連携というのは、実際に学術的に意味のある連携ですか? あと主張自体はそれを公知させない事が問題という事?
2016-12-14 00:46:56@eserver_dip_jp 分野によりけりだとは思うけど、他分野知ることで開発、研究、発想などの幅が広がることが多いのは確かだよね。
2016-12-14 00:56:40@RKX1209 すべての事柄は何らかの学問と関連がありますし、必要であれば新たに学問として分類することができると思います。なので、すべて学術的にも意味があると思っています。
2016-12-14 00:59:27@RKX1209 僕が問題視しているのは、関連性を見いだす雑学的知識を深めることと、面倒に思わずに積極的に連携がとれる身軽さです。実際には人脈等の問題もありますが。。
2016-12-14 01:00:43@RKX1209 本来であれば、学問はグラデーションのように繋がっているはずなのですが、どうしても分類された「専門」の中で物事を考えがちなのです。
2016-12-14 01:02:14@eserver_dip_jp はい。ただ直接的な研究結果につながらない連携を行うメリットは教育目的ぐらいしか思いつかないので、つまり連携を公知してそのジャンルに続く入り口を増やしたいという事ですか?
2016-12-14 01:09:38@eserver_dip_jp ああ そういうことなら確かに一理はあるでしょうが、プロの研究者は常に多方面での見聞を持っている事が多く、それゆえ様々な発想で分野が開拓(そして連携)されていっているのも事実です。
2016-12-14 01:11:18@RKX1209 先端のほうではそのような人材が多数いらっしゃると思いますが、人材育成という面でみるとどうでしょうか。人が育つ場所にそのような人が存在するかというところが気になっています。 twitter.com/eserver_dip_jp…
2016-12-14 01:19:21@RKX1209 ただ、直接的な研究結果につながらない連携も必要だと思っていて、大隅さんがおっしゃっていたように、すぐに結果にならないことも考え続けるべきだし、そのような環境も整えておく必要はあると思うのです。どうしても結果の見える研究にとびついてしまう。
2016-12-14 01:24:28@RKX1209 結果を出すことももちろん必要ですが、結果が出ないことも取り組む必要があると思います。
2016-12-14 01:25:46@eserver_dip_jp ああ やはりそちら方面での話でしたか。 アカデミア的な意味での専門家は先に述べた通りだと思いますが、教鞭を取っている人間はわかりませんね。かといって前者が後者をやる余裕も無い(大学教育の失敗がまさにそれですね)し、結局時間が無いんじゃないですかね
2016-12-14 01:28:21@eserver_dip_jp 研究者にとって必要という意味ならそうだと思いますが、教育現場で例えばメジャーリーグの人間を少年野球団のコーチにまわす事は難しいですし、後者に前者程の技術や見聞を要求するのも難しいですね。教育にも段階があると思っています。
2016-12-14 01:38:49@RKX1209 先端を走る人でも、雑学への興味の度合いは様々ですし、カバーする知識の範囲にも偏りがあると思います。それでよいと思うか、それでは足りないと思うかはそれぞれだとおもいますが、その部分はPh.D.として考えるべきところなのではないかと思います。
2016-12-14 01:43:04@RKX1209 これに関しては研究者むけとしての発言のつもりでした。もちろん教育には順番があると僕も思います。そして教育の現場を最先端の研究者に任せるというつもりはありません。適不適はたしかにあって、最先端の研究者は研究が得意であっても、教えることが得意とは限りません。
2016-12-14 01:47:23@eserver_dip_jp なるほど。専門家というとどうしてもアカデミアを思い浮かべてしまったけど、最初の主張の軸はどちらかというと教育者にあるのかな。まあそれならそうだろうけど、世の中そんなに優れた教育者ばかりじゃなくて悲しいねという気持ち
2016-12-14 01:52:56@RKX1209 研究者も教育者も教育を受けて育っていくのです。今の研究者を育てたのは教育者だし、今の教育者を育てたのも教育者なのです。そして、研究者も教育者も専門家であって、しかし求められる能力のバランスが違う。これからの教育者、研究者を育てるための話です。
2016-12-14 02:00:09@RKX1209 もちろん、最先端との連携も必要で、その橋渡しとなれるような教育者が必要です。
2016-12-14 02:02:29@RKX1209 理想としては、研究者も教育者であるべきだと思うし、教育者も研究者であるべきだと思います。
2016-12-14 02:06:15@RKX1209 でなければその人が居なくなったらその最先端の研究がなくなってしまうし、これからの研究者も育たない。
2016-12-14 02:08:31@eserver_dip_jp どの段階の教育か(きっかけ作りの段階か、ガッツリ専門を学ぶ段階か)によっても違うでしょうが、少なくとも前者なら多くの引き出しを持って多くのきっかけを与えられるのは理想ですね。(まあ博識な教育者って理想論すぎる気もするけど)
2016-12-14 02:10:22@RKX1209 教育者も研究者であるべきだという部分にも繋がると思うのですが、学校にも研究室があっていいと思いますし、専門としての教育学や雑学・博学を学んだり研究するための時間や環境があってもいいと思うのですよね。現状の学校という環境で先生にそれを求めるのは無理だと思います。
2016-12-14 02:20:47@RKX1209 という意味では、学校の先生は教育の最先端の研究者であるべきというところではあるかと思います。
2016-12-14 02:26:03@eserver_dip_jp ああ では現状の専門家を変えるというより、どちらかというと環境自体を変えるべきという話なんですね。(今の制度で一番初めに言っていた主張を実現するのは難しいと僕も思います)
2016-12-14 02:26:22