【ミリマスSS】Aroma Romance #1【篠宮可憐】

アロマのように漂う、悲しげなロマンスのおはなし。 #2→https://togetter.com/li/1064727
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創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

凍えそうな夜が好きだ。凍えそうな夜の中、一人で街を歩くのが好きだ。誰からも目を向けられず、注目されず、気にかけられず、触れられず、勝手気ままに歩くのが好きだ。暑いよりも寒い方がいいのは当然の話で、暑さは感覚を鈍らせる。寒さは感覚を鋭敏にする。その方がいい。私はそう思う。 01

2016-12-04 21:29:53
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

街の匂いは鼻の奥をくすぐる。路頭で販売される餡入りの饅頭、レストランの看板に染み込んだペンキの匂い、砂と石が擦れ、僅かに立ちのぼる砂煙。私は、なるべく人のいない道を通る。その方が、邪魔な匂いが少ない。頭上で街灯が明滅している。冬眠し損ねた蛾が死に場所を探し飛び舞っている。 02

2016-12-04 22:25:23
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

「よう姉ちゃん」くたびれたお爺さんが私に声をかける。「シャンと背ぇ伸ばして歩けよ」お爺さんの頬は紅い。酔っているようだ。私は無視して歩く。「一杯やるよ姉ちゃん」お爺さんの声が響く。「酒は嫌いか」「嫌いじゃないです、けど」私は呟く。「貴方の匂いが嫌いです」そのまま立ち去る。 03

2016-12-04 22:30:41
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

私は、バッグの荷物を確認する。バッグの中に入っているのは、缶が一本。それだけだ。「ああ……」私は身体を震わせる。夜の闇に月が浮かんでいる。「『神さま』……私を、見ないでください……」篠宮可憐はそう言って、ビルの狭間で夜空に涙を流した。街の光に掻き消され、彼女の姿は消えた。 04

2016-12-04 22:40:14
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

朝の目覚めは憂鬱だ。私は、硬いベッドの上で目を開く。目覚ましをかけていたわけではない、今日は特に何の用事もない。二度寝してもいいけれど、それだって何の意味もない。私は起き上がり、ベッドの下に置いておいた長袖ジャージを引っ張り出して着る。「ふわ……」あくびが出る。 05

2016-12-04 22:58:31
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

電気ケトルでお湯を沸かす。ガスが止められて久しい、特に不便を被ってるわけではないので、開栓の手続きはしていない。『続いてのニュースです』ショートボブの新人アナウンサーが原稿を読み上げている。私はクッションに腰を下ろす。『……765タワーの落描きは、一切の目撃情報が無く……』 06

2016-12-04 23:08:09
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

『ここで天海春香さんにお話を伺ってみましょう、天海春香さんは765プロ所属のアイドルであり、765プロ最初のアイドルでもあります』ケトルが煙を吐く。私は立ち上がり、カップラーメンを棚から出す。『そうですね……落描きは悲しいことですけど……』湯を注ぎ、蓋をする。 07

2016-12-04 23:19:21
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

『きっと、落描きをした子も、何か辛いことがあったんじゃないでしょうか』テレビ右上隅の時刻表示を見る。『とすると、落描きを肯定するのですか?』あと二分だ。『いえ、そういうことじゃないんです。ただ、その子を、助けてあげたいなあって思って』綺麗事を並べるアイドルは、輝いて見える。 08

2016-12-04 23:24:42
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

綺麗事しか言わないんだから、綺麗に見えるのは当然だ。あのアイドルをこっちの世界に引きずり出したら、そのときあのアイドルは、輝き続けていられるのだろうか?『以上、765タワー前からお送りしました』落描きというのは、765タワー側面に『GOD』と赤く描かれたもののことだ。 09

2016-12-04 23:27:48
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

そしてその落描きは、他でもなく、私が描いたものだ。別に、社会に警鐘を鳴らそうだとか、抑圧された自分を表現しようだとかいう気は全くなくて……『朝のニュースを終わります』時刻表示を見る。三分が経過していた。私は割り箸を指に挟んで手を合わせる。「いただきます……」 10

2016-12-04 23:32:59
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

カップラーメンを食べ終わり、室内の換気をする。この部屋には、特殊な換気扇がある。空気を外に出すことだけに特化した換気扇だ。新しく空気を入れなければ、窒息死する。その換気扇は二重構造になっていたり特殊カーボン製だったりするんだけど、詳細はわからない。とにかく特殊な換気扇だ。 11

2016-12-04 23:42:45
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

その換気扇で空気を外に出し、私は、押し入れの中の清涼大気ボトルを取り出す。このボトルには空気が入っている。理解のない人は『それ何も入ってないんじゃん』と言うけれど、空気が入っている。とても綺麗な空気だ。全身に浴びれば心が安らぐ。特に匂いがついているわけじゃない。 12

2016-12-04 23:48:57
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

空気の調整は、化粧のようなものだ。特殊換気扇で空気を出し、ボトルで真っ新な状態にする。その上にアロマなどを焚く。化粧を洗い流し、ファンデーションをして、化粧を重ねていく。この作業のおかげで、その日一日が引き締まったものになる。アロマの種類によって気分も変えられる。 13

2016-12-04 23:55:46
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

私はボトルの蓋を開いた。清涼な空気が、すらりと立ち昇る。私を優しく包み、部屋全体へ拡散する。これで基礎固めは完璧だ。「今日は……」私は、アロマの棚へ近づく。今日の気分を左右するアロマだ、慎重に選ばないといけない。とはいっても、今日は特に用事もないから……「……そうだ……」 14

2016-12-14 22:28:37
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

私はドレッサーの近くの床に置いてあるバッグを見る。「……」私はバッグを持ち上げ、その中に入っていた缶を取り出した。その缶は、側面が唐紅色であり、上部の噴出口には、誤射を防ぐためのプラスチックカバーがかけられている。私は、首をひねるようにしてそのカバーを取り外した。 15

2016-12-14 22:41:33
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

私は、噴出口をなぞりながら、記憶の底へ沈んでいく。昨日の夜の記憶だ。……765タワーに刻まれる『GOD』の文字……缶から吹き出す唐紅色の塗料。塗料の粒が夜の空気に乗り、私の鼻腔をくすぐる。……私は、大きく身震いした。「ああ……」私はドレッサーにもたれかかる。 16

2016-12-14 23:03:34
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

私は缶を振った。カラカラと玉が転がるような音が鳴る。深く考えず、缶上部の突起を押し込む。唐紅の霧が噴射される。霧の匂いが部屋を塗り替える。視界が色とりどりに明滅し、快感が脳を揺さぶる。「ああ、『神さま』、私を……私を、捕まえてください……」赤色の海の底へ、沈んでいく。 17

2016-12-14 23:10:35
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

深海に沈む私の意識を醒まさせたのは、男の囁き声だった。「どうした可憐……そんな血塗れで……」私は驚いて目を開く。窓際に、片膝を立てて座っているグッシュさんがいた。「誰を殺ったんだ」グッシュさんはクツクツと笑う。「グ、グッシュさん……いつから……」「ずっとさ」 18

2016-12-14 23:23:54
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

グッシュさんが立ち上がると、グッシュさんの纏う空気も同時に動く。「可憐、今日、何か用事はあるか」「え、ない……ですけど……」私はグッシュさんを見上げる。グッシュさんは私に歩み寄り、私の顎をくいと上げさせた。「……シャワー浴びてきてくれ。行くところがある」私は頷く。 19

2016-12-21 23:10:06
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

私は唐紅に染まった衣服を捨て、シャワールームへと向かった。肌寒さを感じつつ、シャワーの蛇口を捻る。温かな雨が私の身体の上で跳ねる。肌にこびり付いた唐紅の塗料が流れ落ちる。私は、全身を巡り猛っていた血が、肌を通り抜けて洗い流されていくような、安らかな感覚になる。 20

2016-12-21 23:21:15
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

シャワーから上がり、新しい服に着替え、居間へ戻る。グッシュさんはパイプを吸いながら、空のスプレー缶を眺めていた。「……グッシュさん、あの……」「ああ。行こう」グッシュさんは手を肩に置いて骨をコキコキと鳴らし、パイプをしまった。「付いてきてくれ」言われた通り、私は付いていく。 21

2016-12-21 23:28:41
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

グッシュさんは立ち止まることなく歩いていく。私を振り返ることもない。私は、その背中を、ひたすら追いかける。背中に隠れるようにして、歩き続ける。グッシュさんが向かっているのは、どうやら、765タワーらしかった。私はどきりとする。でも、二人で765タワーに来ることは珍しくない。 22

2016-12-21 23:41:33
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

765タワーの真下に着く。数時間ぶりの765タワーは、昨日と変わらず、そこにそびえ立っていた。日本最大765メートルの木造タワー。765プロが独占所有する電波塔。塔京の象徴《シンボル》。それが765タワーだ。「急に昇りたくなってな」グッシュさんは言い訳めいて説明する。 23

2016-12-21 23:54:44
創務丹/蝶乃雨冠(チョウノ ウカンムリ) @chou_tan_

私が落描きしたのは、765タワーの『脚』と呼ばれる部分の側面だ。今いる場所からは見えない。「わ、私も……昇りたい気分でした」私はそう言って、グッシュさんに同意する。『幹』部のエレベーターに乗り、私達は空へ近づいていく。エレベーターガールは恭しくお辞儀した。「第二展望台です」 24

2016-12-22 00:05:40