- nikko81_fsi
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一週間に5通、100通以上も丸島先生がずっとご担当…そんなに!大名ごとに紙の使い方を変えるこだわりをしてると、逆に美術さんから寸法は?と逆に聞かれてしまう(笑)しかし、こだわった書状ほどつかわれない悲しみ… #考証ズシンポ
2016-12-18 14:49:13地図の構成。見落し、意外と地名の間違いのチェック漏れがあるそうw 虚空蔵山と虚空蔵山城間違いやすいからなんとか…というときに、平山先生からかいこやま提案。皆さんかいこやまってわかりますよね!真田町の方から手が上がる→平山先生『ほらほらほらほら』 #考証ズシンポ
2016-12-18 14:46:20五大老はつかわない、関ヶ原までの心情ややりとりを描いてもらえた点が大きい。考証陣が思う以上に意図を組んでくださる三谷さん。前世の因果として近代と別の意味で差別されていたハンセン病、人望のある吉継というのは考えにくい。また茶の話、飲み干したのは秀吉。膿じゃなくて洟。#考証ズシンポ
2016-12-18 14:42:41またも #上田PV にて大助君をお見かけできる幸せよ…高砂やる旗はへなへなやけどw おこうさんの槍さばき(爆笑)と信吉、作兵衛の演出もありがたし…では、早丸パプリックビューイングにて…いざ、参らん! #真田丸
2016-12-18 17:57:36大坂冬の陣後。合意事項というだけでなく、珍しく大坂は寒波。来てすぐ寒さに苦しんだ徳川軍。すぐに堀を埋める手伝いをしたという。 #考証ズシンポ
2016-12-18 14:35:31関ヶ原合戦の布陣図参謀本部の作成したやつ、でたらめですよ?というとあれに沿って歩き回ったのに、あれ嘘!?!?と清水P。 #考証ズシンポ
2016-12-18 14:32:20朝が方に始まり昼に終わったというのは、考証会議で短くしてもらった。書状では10時に始まったというものと、10時に終わったというものがあり、実際には関ヶ原合戦は秒殺。 #考証ズシンポ
2016-12-18 14:29:53当時に残された史料で描くというのをつかってドラマを描くのはここ10年ほど。基本は江戸時代のストーリーが多い。秀忠の第二次上田合戦の行動も従来と違った点。家康も勝手に戦線が西に広がるのを驚き、それに伴った秀忠への作戦変更命令。偶然に偶然に重なった関ヶ原の展開。 #考証ズシンポ
2016-12-18 14:27:24従来と違って描かれ方。まずは秀次事件。秀次が高野山に行ったのは自発した出奔ではないか?というのを改めて丸島先生自身が読み込んで納得、それで元論文への発表前の取材があったんだそうな。秀次事件の後に、石田治部の『わたしがすべての泥を被る』ていうようなセリフはカット。 #考証ズシンポ
2016-12-18 14:21:42歴史は動く。通説はとりあえずこう考えておくということで確定的なことではない。小さな改訂が大きな史実が変わっていくことすらある。 #考証ズシンポ
2016-12-18 14:16:10脚本のために点検してるなかで、真田源次と文禄以降馬廻りとして確認できた話。信繁、製作サイドは秀吉のそばに置きたいことで、石田の居候にする案だったそう。 #考証ズシンポ
2016-12-18 14:14:24新しい研究のドラマへの反映。まず…木曾から出た 弁丸書状。いつ帰ってくるのか解んないなんて…というのをおとりさんに木曾義昌にアタマが上がらないって設定をいれることで、弁丸が帰ってくる辻褄がうまく合ったと。 #考証ズシンポ
2016-12-18 14:10:25