双頭の龍(後編) 「転 尾張国内円覚寺領の再立荘」
鎌倉幕府滅亡後、鎌倉・円覚寺は尾張国内において在地にそくした荘園の整備をおこなった、その遠因の存在の可能性を指摘。
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ほおづきン
@kagachi_ecm
元亨2(1322)年6月27日(八一三・八一四)、林・阿賀良の両村(春部郡、篠木・野口・野田に隣接か?)の年貢請文ならびに名寄帳を円覚寺に提出。
2017-01-03 14:39:47
ほおづきン
@kagachi_ecm
正中2(1325)年11月3日(八六一)、近衛家・北政所、(海東郡)冨田庄について、雑掌にたずねるように円覚寺に伝える。(2ノ一七より年代を推定)
2017-01-03 15:03:02
ほおづきン
@kagachi_ecm
嘉暦2(1327)年5月18日(一三二)、近衛家北政所(経忠室)あらためて地頭円覚寺と請所契約をむすぶ。(承元5(建暦2・1212)年北条(義時)殿の御請文に任せる、とある)
2017-01-03 15:21:16