アイヌ文化研究者が考える「アイヌ語を学ぶとはどういうことか」「未来に向けてどうしたらいいのか」

北海道大学 アイヌ・先住民研究センターの准教授で言語学の丹菊逸治氏が考える「アイヌ語復興」の方法論と、現状の問題点、未来への提言。ただ助成金を出せばいいというものではなく、その方法を熟慮すべき、としてその個別の問題について論じている。学者が象牙の塔に閉じこもらずに、このようにいま生きている社会に対して発言してこその「学問」! ※公式発言ではなく個人的発言と明記されています。
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丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku アイヌ語復興を目指すときに、経済的利益は動機にならないし、しようとしてはいけない。言語復興の阻害要因は「言語コミュニティがないこと」「経済的利益がないこと」である。前者は解決可能だし解決すべきである。後者は解決不可能だし、解決すべきでもない。

2017-01-03 16:59:46
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku アイヌ語の縮小再生産がとまらないのは「言語学者は語学を教えているつもりだが、生徒側は文化活動のネタを仕入れているつもり」というギャップのせいでもある。手芸や芸能などに比較するとコストパフォーマンスが悪いので、飾り程度にしかならないのだ。

2017-01-03 17:03:58
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 1997年の法律は民族対策として不十分であり、対象が「アイヌ文化」に限定されたため、アイヌ民族の民族活動の焦点自体が「文化」に限定されるようになってしまった。名誉、カネ、期待、全てがそこに集中した。本来は経済活動ではないはずが、今やカネも目的になっている。

2017-01-03 17:13:19
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku だが、助成金目当ての文化活動はうまくいかない。赤字で大変だともちろん失敗する(そういう例だって枚挙にいとまがない)が、逆に助成金で儲かるはずはない。経済的困窮を抱えたまま文化活動をしろといったって無理なんだが、文化活動で儲かるようにしたってダメなんである。

2017-01-03 17:18:32
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku アイヌに限らず、北方諸民族の伝統文化は「一般の人々」が担ってきたものであり、専門の職人の職業ではなかった。現在においてそれらを継承・維持するなら、やはり一般のアイヌにとっては「趣味」であるしかない。一般のアイヌにとってそれが「職業」となることはない。

2017-01-03 17:22:58
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku アイヌに限らず、北方諸民族の伝統文化は「一般の人々」が担ってきたものであり、専門の職人の職業ではなかった。現在においてそれら伝統文化の維持が職業となるなら、それは「特殊な復元作業と一般の人々へのサービス」になるはずだ。趣味やたんなる実践のレベルではなく。

2017-01-03 17:27:17
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 結局のところ「アイヌ文化への助成」は「アイヌなら誰でも参加できる趣味的な文化実践」と「それらの活動を支える専門家の技術と知識」の2つに分けて考えるべきである。前者はアマチュア、後者はプロである。この分化は伝統的アイヌ社会にはなかったが、今後は必須だろう。

2017-01-03 17:31:18
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku ここでいう「アマチュア」は例えば「私はアイヌなのでアイヌ語をちょっと学んでみたい」という人々である。そういう人々に授業料や交通費などを助成して「なるべくお金をかけずにアイヌ語を学べるようにしよう」というのが先住民族対策としてありうる。だが、そこまでである。

2017-01-03 17:44:33
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 彼らはそれ以上のお金はもらうべきではない。一方、ここでいう「プロ」は例えば「私はアイヌなのでアイヌ語をちょっと学んでみたいという人々にアイヌ語を教える講師」であり、言語運用能力だけでなく「教えるプロ」でなくてはならない。

2017-01-03 17:50:03
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku アマチュアが受け取るお金はあくまで「助成金」であって賃金ではない。プロが受け取るお金は「賃金」であって助成金ではない。この区別が曖昧だと、「賃金をもらえるレベルの仕事をしていない人に賃金が支払われる」という状態になりかねない。

2017-01-03 17:56:54
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 「儀礼やイベントでは参加者もいろいろもらえるのが伝統」というのが北方先住諸民族の多くの社会の伝統である。だから、文化復興運動においても「参加者がお金をもらえて当然」ではある。だが、何らかの形で区別を設けないと「復興」としては機能しないだろう。

2017-01-03 18:02:45
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku こういった諸問題はおそらく解決可能である。先住民族の文化復興においては、驚くような展開がしばしば見られる。だから、絶望する必要など全くない。問題の所在が分かれば、たいていは解決も可能になる。

2017-01-03 18:09:47
丹菊逸治 @itangiku

@usamizuho 基本的に一対一ですね。おっしゃるとおり、東アジア的な徒弟制度には若干マスプロ教育的な部分があります。一対一なのには、社会制度的な理由と、技術的理由の両方があるでしょうが、特に前者が重要だと思います。

2017-01-03 18:13:59
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku アイヌの言語・文化復興については今後数年で大きな展開が待っているだろう。いろいろな問題が明らかになったが、その代わりに先も見えてきた。失敗は捨ててしまって先に行こう。未来は明るい。

2017-01-03 18:17:13
丹菊逸治 @itangiku

.@usamizuho すみません、先ほどのツイは舌足らずだったかもしれません。「メンター&アプレンティス」というのはスターウォーズのそれなんかと違って、「弟子は1人だけ」というわけではありません。弟子は複数いますが、教えるときは個人別ということです。

2017-01-03 18:19:27
丹菊逸治 @itangiku

.@usamizuho そうですね。「一度に複数の人間に教える」という仕組みに問題があるだけです。この仕組みにはいろいろ問題があります。「複数だと競争になり、負けたほうが面白くなくなってしまう」「基本的に実地での指導なので、生徒が複数だと教える側が細かいケアをできない」など。

2017-01-03 18:29:19
丹菊逸治 @itangiku

うーむ、正月早々こんな連ツイをしてしまった。だが、これは新年の抱負なんである。他人のことはいい。我々はなすべきことをなすだけである。

2017-01-03 18:31:50
丹菊逸治 @itangiku

1997年に止まったままになっている時計の針を再び動かさなくてはならない。

2017-01-03 18:35:01
丹菊逸治 @itangiku

20年目はいい節目である。

2017-01-03 18:38:59
丹菊逸治 @itangiku

「言語教育」は他の教育と根本的に異なる。言語はそもそも教育の対象ではなく、本人が勝手に覚えるものである。しかも近代国家における学校型教育システムとは相性がものすごく悪い。

2017-01-04 16:21:46
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 言語習得では「学ぶ」と「実際にやってみる」がほぼ同時に行われる。両者を分離する学校型教育に決定的に向かない。もしも「言語を教える」必要が出てきたら、教育方法として真っ先に「学校型教育」を選択肢から外すべきである。

2017-01-04 16:24:25
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 言語学者や語学マニアが行っている「パラダイム暗記→練習」という学習方法(言語習得方法)は、どちらかといえば特殊なもので、一般には向かない。たまに向いている人もいるので、絶対に無理というわけではないが、たいていの人には向かない。

2017-01-04 16:26:57
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 学校型教育で言語を教えると「暗記が苦手な人に暗記をさせる」という無茶苦茶なことになってしまう。こんなの上手くいくはずがない。もちろん、暗記が得意な人には向いている。

2017-01-04 16:30:21
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 学校型教育で言語を教えると、どうしても暗記が中心になる。でも、たいていの人は暗記が苦手だ。そして言語の基本は「誰でもしゃべれる」だから、誰でも学べる方法でなくてはならない。学校型教育は向かない。

2017-01-04 16:31:40
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku でも「学校型教育」は教育と評価が一体となったシステムだから、教育方法だけを変更すると評価できなくなってしまう。言語教育の教育法だけを変更すると評価ができなくなる。だから事実上、学校型教育を導入したが最後、そこからは抜けられない。

2017-01-04 16:33:36