アイヌ文化研究者が考える「アイヌ語を学ぶとはどういうことか」「未来に向けてどうしたらいいのか」
- ryomichico
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「アイヌ語を学ぶ」とはどういうことか。かつては「言語学者のもとで一通り基礎を学び、あとは話者について学ぶ」だった。だから「言語学者よりできるようになる弟子」がいた。だが、現在では自由自在に話せる話者がいなくなり、「ずーっと言語学者の元で学び続ける状態」が固定化されてしまった。
2017-01-03 15:02:28.@itangiku 「でも実際には基礎すら終わっていないんだから、そんなの関係ない」と言語学者は言うかもしれない。だが、そうではないのだ。「ずーっと言語学者の元で学び続ける状態」が固定化されることによって、アイヌ語のマニュアル化と「縮小再生産」が促進されている。
2017-01-03 15:04:53.@itangiku アイヌ語復興が進めば、「アイヌ語」(と呼ばれるもの)は3つに分裂するはずだ。「言語学者主導の古典アイヌ語」「日本語の影響を強く受けた新アイヌ語」「百~二百程度の語彙のみアイヌ語化した日本語」の3つである。
2017-01-03 15:07:17.@itangiku そしてその中で実際に日常生活で用いられるのは「新アイヌ語」か「語彙のみアイヌ語化した日本語」になるだろう。それらが一番活力があるだろうから。「言語学者が主導する古典アイヌ語」は権威はあるかもしれないが活力は小さい、ということになるはずだ。
2017-01-03 15:09:01.@itangiku だが、現状は「言語学者が主導する古典アイヌ語」を行政が後押しして前面に出している状態である。言語の中身の良し悪しは問題ではない。この状態はおかしい。これでは言語学者が言語復興上のボトルネックになってしまう。
2017-01-03 15:11:43.@itangiku この状態を「おかしい」と思わないほうがおかしい。現にさまざまな「問題」が表面化している。まず、アイヌ語学習者の習得度に比べて実用頻度が低すぎる。つまり「知ってるのに使っていない」のである。それではまるで「言語学者」である。
2017-01-03 15:15:31.@itangiku 現状では「アイヌ語を学ぶ」ということが、まるで「学校の英語教育の失敗例」のようになっている。これでは疎外感を増すだけだろう。
2017-01-03 15:20:53.@itangiku 「流暢な話者から直接教われない以上、アイヌ語について学習者は言語学者をこえられない」という状態で、言語学者がアイヌ語を実用していない現状では、学習者はアイヌ語を実用しようがない。言語学者がボトルネックになっている。
2017-01-03 15:40:39.@itangiku だからといって「言語学者がアイヌ語を実用する」でも問題は半分しか解決しない。言語学者が「最高権威」である以上、学習者がその枠から外に出られないことには変わりがない。実際には各方面で言語学者がボトルネックとして機能してしまう。
2017-01-03 15:44:16.@itangiku 解決策としてはアイヌ語をアイヌ自身の手に取り戻すことが必要である。だが「アイヌ語をアイヌ自身の手に取り戻す」とはどういうことか。「アイヌ民族出身の言語学者の手に取り戻す」ということか。知里真志保がいた当時「アイヌ語はアイヌ自身のものであった」わけではない。
2017-01-03 15:47:07.@itangiku 中央集権的なシステムを持たないアイヌ社会において、「アイヌ語をアイヌ自身の手に取り戻す」ということは、「アイヌひとりひとりがそれぞれの形でアイヌ語を自分のものとする」ということであり、代表者たちが自分のものとすることではない。
2017-01-03 15:49:22.@itangiku 現在では「アイヌ語が用いられている社会」という出口がなくなっている。その出口のない状態では通常の語学学校的なシステムはうまく機能しない。言語復興を考えるなら、全体をデザインしなおさなければならない。
2017-01-03 15:58:14.@itangiku つまりアイヌ語の「言語コミュニティ」を同時に作らなくてはならない。言語コミュニティは平等なシステムでないと機能しない。学校的ピラミッドシステムでは機能しない。英語教師を頂点とする「学校英語」が学校とその周辺においては言語として機能しないのと同じことである。
2017-01-03 16:01:57.@itangiku マオリ語教育の「テアタアランギ法」が機能するのは、それが「平等な言語コミュニティ」をミニマムに再現する学習法だからである。毎回の新出語彙は7単語まで。学習内容は多少おかしな表現でも文法学習のために許容するが、必ずグループ全員が完全に習得する。
2017-01-03 16:05:52.@itangiku これは「講師の知識より、毎回の内容の絶対性と、グループ全員の習得のほうが優先される」ということである。だからこそテアタアランギ法では「講師」といわず「講師役」という。各回の学習内容の前では全員が平等である。講師ですらそこから逸脱することはできない。
2017-01-03 16:09:23.@itangiku テアタアランギ法ではここまで徹底することで「言語コミュニティ」を擬似的に再現している。学習内容に関しては、学習時以外でもこの平等感覚は保たれるから、彼らは安心して「ちょっと奇妙な××語」を使うことができる。「間違っている可能性はゼロ」なのである。
2017-01-03 16:11:35.@itangiku とはいっても、テアタアランギ法は万能ではない。ポリネシアなどの集団内部の協調性を重視する社会では非常に有効でも、北米やユーラシアの北部など、個人の独立性が非常に強い先住民族社会ではうまくいくとは限らないと思う。
2017-01-03 16:13:20.@itangiku だからそれらの地域では伝統文化保存に際して「メンター&アプレンティス(師と弟子)」という一対一システムが主流になっている。言語については「言語のゆりかご」(対象言語による保育園)や、イマージョン活動(その言語を使用した諸活動)などが主流である。
2017-01-03 16:15:17.@itangiku 「学校」は不平等なシステムである。機会は公平でも結果が不平等である。これでは「言語コミュニティ」にはならない。擬似的にすら機能しない。言語運用能力の優劣が評価されている状態では、その言語によるコミュニケーションなどできない。
2017-01-03 16:18:22.@itangiku 現状の「言語学者を頂点とするアイヌ語教育」では言語復興ができない。テアタアランギや1対1教育など、問題を回避するための特殊な教育システムでスタートした後、すみやかに「言語のゆりかご」(アイヌ語保育園)やイマージョン活動を中心したやり方に移行すべきである。
2017-01-03 16:22:26.@itangiku 世界中どこを見渡しても、言語学者を頂点とする語学教室システム、マスプロ教育システムで言語復興が成功した事例はない。全ての事例で「言語のゆりかご」やイマージョン、あるいはテアタアランギ法など「別な方法」によっているのである。
2017-01-03 16:26:35.@itangiku 実際のところ、アイヌ語だってそうなのだ。現在、ある程度運用能力があるアイヌ語学習者は「1対1+独学」で身につけた者がほとんどである。言語学者を頂点とする語学教室システム、マスプロ教育システムだけで育った者は一人もいないといっていい。
2017-01-03 16:30:30.@itangiku 現在のアイヌ関連事業で「出口」といえば、就職先のことであるが、実をいえばそういう形でしか物事が捉えられないことも大問題なんである。そもそも、アイヌ文化事業を福祉対策として位置づけるのが大きな誤りである。
2017-01-03 16:51:27.@itangiku 「文化で飯が食える」なんてことが多くの人々にとってデフォルトになってはおかしい。そんなことは基本的にありえない。つまり「アイヌ文化実践がカネになる」なんてことが主流になるはずがない。そういう仕組みを目指してはならない。
2017-01-03 16:54:34