- ryomichico
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「学校山」という地名はあくまで「学校山」であって「学校の裏山」ではない。地名には地名の文法がある。アイヌ語地名についてもそれは同じで、たんなる叙述なのか地名なのかはある程度判別できる。
2017-01-05 19:27:51.@itangiku 例えば室蘭という地名。それがmo-ru-ranであろうが、(知里の考えたように)mo-ru-e-ran-iであろうが、たんに「小さな坂を下りた場所」というような叙述だと考えることはできない。
2017-01-05 19:30:54.@itangiku moは日常会話中で「小さい」という意味で使うことはない。これは地名だから用いられるのであり、日常会話ではおそらくpon等が用いられる。
2017-01-05 19:36:02.@itangiku 札幌がsat-poro-pet「乾く・大きな・川」、sar-poro-pet「葦原・大きな・川」のどちらであろうが、日常会話内のたんなる叙述とみることはできない。satは地名において「夏期に乾く」の意であり、たんにsat「乾いた」状態の川はありえない。
2017-01-05 19:39:13.@itangiku sar-poro-petでは破格である。sari poro petはありうるが、この語形とsar-poro-petもしくはsat-poro-petは音が違いすぎるので、並存して記録されているのはおかしい。
2017-01-05 19:42:39.@itangiku 「アイヌ語話者が一度だけsari-poro-petと呼んだのを日本語話者がサリホロペッと記録し、それがいつのまにかサッポロペッに変化した」のであれば、おそらくリ→ツの誤写であろうから、文献の比較で判別できる。だが札幌の場合は確認されていないようである。
2017-01-05 19:46:20.@itangiku sat-poro-petとsari-poro-petがともに記録されているのであれば、それはアイヌ語話者による2種類の呼び名があったことになり、たんなる「葦原が大きな川」という叙述と考えることはできない。前者がたんなる叙述でない以上後者もそうではない。
2017-01-05 19:49:03.@itangiku もちろん、たくさん記録されている「アイヌ語地名」の全てについて固有性を一律にとらえるのは誤りだと考える研究者は多い。だが、たんなる叙述だと考える研究者はおそらくいないだろう。地名の固有性について現代日本のそれの類推だけで考えては間違えることになるだろう。
2017-01-05 19:51:58.@itangiku というわけで、まあ、アイヌ語地名ってのは「地名」ではあるんですよ。たんなる普通名詞やたんなる叙述でない。そこまでは分かっている。問題は「固有性」自体が単純ではないっていうことです。
2017-01-05 19:54:02