丹生谷貴志ツイートまとめ(2016年12月)

丹生谷貴志さんの2016年12月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

余談。例えば古典期の音楽を聴き続ける時の奇妙な疲労感には要はそれが「夜に向けられている」ことにあるんじゃないかという無根拠な思いがよぎり、この「夜」は比喩ではなくて当時の貴族たちの生活習慣から音楽は主に「夕刻から夜中」のサークルで演奏された可能性・・・まあ調べてみる必要があるか。

2016-12-02 06:47:38
nibuya @cbfn

余談。ちなみに「マチネ」という「用語」があることくらいは知ってますので誤解なきよう。ともあれ、昔からの癖で、哲学でも小説でもなんでも、それが「白昼型」か「夜型」かで分ける如何にもいい加減(!)な分け方をする癖が僕にはあり・・・例えば「白昼の狂気」と「夜の狂気」といった具合に・・・

2016-12-02 07:07:54
nibuya @cbfn

例えば昔カミュの『異邦人』で一番がっかりしたのは白昼で進行していたものが後半、ラストに至ってそれが「夜」に収束してゆくかのように見えたことで・・・まあ『異邦人』なんて半ば忘れかけているので確認の必要あり。しかし『夏』の書き手が後年『転落』の、夜の書き手になってゆくことの問題・・・

2016-12-02 07:18:48
nibuya @cbfn

・・・いい加減な想念・・・月と猫の力は、共に「夜型」であるのに猫は断固として白昼を持ち歩き、月は灼熱の白昼に向けて発光しているという点にあり・・・

2016-12-02 07:27:18
nibuya @cbfn

自分にとっては全く不急不要と予測がつきながら「仕事柄」読まなければならない本が未だある・・と思ってしまうのが哀しいが、別の必要もあって(読まずに云々も失礼なので)敬して遠ざけていたマルクス・ガブリエル(冗談みたいな名だ!)とメイヤスーを注文、久しぶりに書籍に関する無駄な散財・・・

2016-12-02 09:35:35
nibuya @cbfn

と書いた途端にウンザリして一冊は立ち読み方針でキャンセル。まあ、これは勝手な思い込みだと断った上で、全ては多様に織られた目眩のするような「マーヤー」であるという「インド哲学」の蝶番を裏返せば「新実在論」の大体のところと同じ光景を開くのではないだろうかと予想(それもめんど臭いが)。

2016-12-02 09:46:15
nibuya @cbfn

・・・というわけでもう一冊もキャンセル。朝から何ドタバタしているのか・・・。ネットで「解説ー書評」を読み漁り、これならさしあたり来年初めに出版が予告されているGeorge Saundersの"Lincoln in Bardo"あたりを期待していた方がよほどましの気分になる・・・

2016-12-02 10:17:31
nibuya @cbfn

近年の「海外の新思想」の急な動きを見る場合彼らの「大学世界」での日本とも少し異質の「理科系対文化系」の知的陣地争いが色濃く作用していることを知っておいてもいいだろう。かつての例のソーカル問題にしてもあの時期の米国大学世界での「理科系一般教養陣営」の憤懣晴らしの気配が濃厚だった。

2016-12-02 10:42:13
nibuya @cbfn

僕程度の頭には、退嬰的と言われようと、バデュウやメイヤスー以前にバシュラールの「詩学」とその膨大なエピステモロジー、それにカヴァイエスの遺稿を読み返すことの方が「新実在論」の新車の空ぶかしを感じる複合透視図よりも先決なんだと自己説得。美大出の頭は物質的恍惚から自由になれない・・・

2016-12-03 00:59:08
nibuya @cbfn

かつて知人が「ポストモダン哲学って要するに日本的じゃん」と言い、その言い方には根本的な不正確があって議論に苛立ったが一方で、以降現在に至るまで「西欧哲学」が妙な具合に極東的感覚(?)に「馴染み深い感じ」になってきているというのは必ずしも間違ってはいない気もする。よかれ悪しかれ。

2016-12-03 08:57:52
nibuya @cbfn

・・・仮に、美を「美」から解放し道徳を「徳」から、形而上学を「形而上学」から、真理を「真理」から解放し、造物主を「造物主」から解放し被造物を「被造物」から解放しetc・・・が20世紀以降の西欧思想の企画であったとすれば、それは「私たち」が「持っていたもの」と「似て」はいる訳だ。

2016-12-03 14:27:19
nibuya @cbfn

「使用前使用後を明記して欲しいでよすねえ」というヘンな言葉が耳元で聞こえて飛び起きる。声の主は確かに故中野幹隆さんなのだ。無論怪奇話ではなくて夢の折れ曲り、このセリフの出どころも思えている。フーコーに未だ髪の毛がある頃の写真を見て「誰だかわからなかったよ」、と続く中野さんの談笑。

2016-12-26 12:23:07
nibuya @cbfn

・・・余談。「内省的」というと「寡黙」と続きそうだが、無論、「内省」は嫌になる程煩瑣なセルフ・リフレクトの構成体であって本質的に「喧しい」し「煩い」・・・例えばベケットの小説や劇は「喧しい」しブラームスやウェーベルンは「煩い」・・・

2016-12-29 16:54:21
nibuya @cbfn

余談。仕事柄嫌々ながら数ヶ月に一回新刊?を見渡す・・・『ブラック・ドゥルーズ』なんて題名が見えて微苦笑・・・この手の本ならいしいひさいちさんの『地底人』でも読んだ方が手っ取り早いはずだろう・・・と思ってしまうのは、こちらが疲弊しているのか、さて・・・

2016-12-30 11:18:13
nibuya @cbfn

図式。「神」が存在しないなら「空虚」が存在する。従って世界は「空虚」を処理する巨大装置ということになるが、哲学やらに使命があるとすればその装置が空虚を処理するその最初の歯車を露呈させることであり・・その時、哲学や芸術は空虚の側に立つか世界の側に立つかは不確定でなければならない。

2016-12-30 11:30:19
nibuya @cbfn

余談。何かを受納(?)する時僕はできるだけ全集主義を採る。或るものの全てを読んだり聴いたりしたいという欲求ではなく、作業がそのことで「労働」に変わることを望むから。生来何が苦手と言って本や音楽やらを「娯・楽」として受納することが苦手で・・・しかし「労働」は「快楽」と矛盾しない・・

2016-12-31 10:15:26
nibuya @cbfn

余談。全集主義と言っても勤勉な読書家やら研究者(!)の態度を採るという意味じゃなくて例えばモーツァルトならその全交響曲を1から41まで朝から晩まで何日でも流し続けるといった一種ズボラな耐久状態に入るというだけのこと。しかしBGMという不敬を我慢するほど怠惰にはならないことは遵守。

2016-12-31 10:28:27
nibuya @cbfn

その結果、以前も書いたが、或る或る作家やら作曲家に関して「どの作品」という区別が僕は出来なくなる。例えばドストエフスキやらカフカやらヒッチコックやら音楽やら何やら全作品が絡まり合ってしまって個体として分離できなくなり・・まあ、それをこそ望んでいるわけでもあるけれど。後は地学・・・

2016-12-31 10:48:07
nibuya @cbfn

僕は生まれつき(!)退屈さ、飽きはての寄る辺なさに途方にくれることに関してだけは耐久性を恵まれていると思い(!)・・・だから(?)、誤解を恐れずに・・・その結果生ずる統合失調状態を「善用」すること・・・それが可能なら・・・

2016-12-31 11:06:59
nibuya @cbfn

余談。必要があって(?)苦手なブラームスをいつもながら「全集主義」で、と言っても歌曲は全く受け付けないのでそれ以外。必要と言っても一つは単にボルヘスにとってのブラームスを知りたいという曖昧模糊とした理由、今一つはフーコーに欠けている「音楽の位置」を計量する為の虚しい作業の一環・・

2016-12-31 17:30:50