Carlos Rodrigues(@fever7777)による「芸術原論」

Carlos Rodrigues(@fever7777)による「芸術原論」をトゥギャりました。こんな見方もあるんですね。。。芸術って幅広く、奥が深いですね。。。
2
fever7777 @fever7777

1. 柳田国男の「ケ」「ハレ」という分類に従えば、芸術はまさに「ハレ」=非日常、聖なる世界だ。鬼才・岡本太郎は「芸術は爆発だ」という名言を吐いた。これこそ芸術の本質を最も明解に表現しているフレーズだと思う。(続く)

2011-02-26 12:10:31
fever7777 @fever7777

2. 芸術の起源とは何か? それは夏祭りや自殺行為などとまったく同質のものである、と言ってしまったら怒られるであろうか? 美しいものと、猥雑な世界、醜い世界とを一緒にするなと。(続く)

2011-02-26 12:11:19
fever7777 @fever7777

3. 人間や地球上で起るすべての現象は、ある特定の力によって支配されている。かつて何度か申し上げたが、この力を「宇宙の法則」と呼ぶ。「神」と読み替えていただいても結構であるが、無神論者としては「宇宙の法則」の方が適切な言葉だ。(続く)

2011-02-26 12:11:53
fever7777 @fever7777

4. 例えば生老病死というのは、医学の力で時間軸をある程度はコントロール可能である。しかし死を避けることは現代科学をもってしても不可能だろう。死と言う状態は「ゼロ」になること。輪廻転生を信じる必要もないが、「ゼロ」はまた同時にスタートラインでもある。(続く)

2011-02-26 12:12:34
fever7777 @fever7777

5. ゼロからスタートした人間は、次々と「ケ」の世界の中で「過剰」をため込んで行く。過剰というのは、カネであったり卑俗的な感情であったり、知的資産であったりする。過剰のエネルギーが溜まると、生命維持のためそれをどこかで放出しなければならない。地震と同じ構図だ。(続く)

2011-02-26 12:13:19
fever7777 @fever7777

6. このエネルギーの放出を「蕩尽」という。岡本太郎の言った「爆発」でも良い。この蕩尽の最終形態は生物学的な「死」である。また「死」とは有史以来ずっと神聖なものである。「死」=ゼロは、連続して「生」を生み出すための重要なプロセスであるからだ。(続く)

2011-02-26 12:14:03
fever7777 @fever7777

7. ただ簡単には、すべてのエネルギーを一気に蕩尽してしまう生物学的な「死」は訪れない。しかし「ケ」の世界でため込まれた過剰は、どこかでガス抜きしなければ極めて不安定な状況になってしまう。だからこそ「ハレ」の世界が必要なのである。(続く)

2011-02-26 12:14:49
fever7777 @fever7777

8. 人間の想像/創造した「ハレ」の世界は、限りなく神聖なものとして疑似的に作られている。夏祭りでは、ため込んだ過剰を神へ奉納という形で蕩尽する儀式だ。自殺行為も、自らの人生という過剰を一気に蕩尽してしまう行為である。(続く)

2011-02-26 12:15:26
fever7777 @fever7777

9. 芸術だって本質はまったく変わらない。芸術に魅かれるということは、日々ため込んでしまった過剰のエネルギーを、癒しという形で一時的(もしくは半永久的に)に蕩尽してしまうことに他ならない。すなわち、芸術は爆発というイメージになるのである。(続く)

2011-02-26 12:16:18
fever7777 @fever7777

10. また芸術は「アンビバレンツの美学」だと言われる。喜びと悲しみ、自信と不安、称賛と怒り、絶望と希望、そういった相反するメッセージが一緒に込められているように見える、聞こえる。これこそが人々を惹きつける大きな存在意義であろう。(続く)

2011-02-26 12:16:58
fever7777 @fever7777

11. 例えばムンクの一連の作風は、一見では絶望や不安を感じさせるのに、しばらくすると安心感や生きる希望が不思議と生まれてくる。チャイコフスキーの悲愴もまた然り。これが精神のカタルシス=自浄作用なのであろうか。(続く)

2011-02-26 12:17:37
fever7777 @fever7777

12. 芸術は美しいから人々を魅了するのではない。美しさの中に醜さや、厳しさが内包されているからこそ、その存在が神聖視されるのである。しかし正確に言うと、美しい絵画の中に醜さや、厳しさを発見するのは、鑑賞者の心理である。(続く)

2011-02-26 12:18:15
fever7777 @fever7777

13. 芸術鑑賞に出かける動機は、癒されたい、過剰にまみれた自らの感情を浄化したいと言うことである。すなわち「ケ」の世界から脱出して、「ハレ」の世界で蕩尽活動を行うことこそ芸術鑑賞のメカニズムである。(続く)

2011-02-26 12:18:56
fever7777 @fever7777

14. しかしそれだけでは、芸術は人々をかくの如き強固に惹きつけることはない。日々の過剰を蕩尽するだけなら、ギャンブルでもやってれば良い。(続く)

2011-02-26 12:19:25
fever7777 @fever7777

15. すなわち、芸術の鑑賞者に現出するアンビバレンツの感情こそが、芸術の存在意義である。「ケ」の世界の過剰を癒しと言う形で蕩尽してくれつつ、まったく逆の感情を呼び起こしてくれることにより、再び人々を「ケ」の世界に戻してくれる。それが芸術の大きな意義である。(続く)

2011-02-26 12:20:12
fever7777 @fever7777

16. 「ケ」の世界に失望した人間が、芸術と言うフィルターを通して再び勇気をもって「ケ」の世界へと戻って行く。つまり芸術はきちんと、人々の過剰を蕩尽したうえにカタルシスとなってくれる訳である。だからギャンブルよりもガス抜きの手段として優れている。(続く)

2011-02-26 12:20:49
fever7777 @fever7777

17. 芸術は海や山に似ている。海は母胎のように優しく、山は優雅な景色を見せてくれる。でも海は荒れ狂い、山は時に発狂する。それとまったく同じで、優しくかつ美しくて、時に厳しいからこそ、芸術は素晴らしいのではないか。芸術は爆発だ!(一旦終了)

2011-02-26 12:21:34