じねん
@jinensai
高地性集落は「倭国大乱」とは関係なく、津波による潟湖(ラグーン)周辺のクニの甚大な被害に恐れおののいた低湿地居住民の高台への自主避難だというつぶやきは以前した。 #お宝ガレリア
2017-01-11 22:56:57
じねん
@jinensai
防衛強化なら濠を深くし逆茂木を植えればいい。日々の生活が曲がりなりにでも成立している土地を人々が離れるのはよっぽどの理由が必要だ。環境的に「住めなくなった」というのが最も腑に落ちる。河川や沿岸流の堆積物でできた潟湖周辺は土地の液状化、家屋倒壊、伝染病が蔓延する。 #お宝ガレリア
2017-01-11 23:12:31
じねん
@jinensai
その最大規模のものが大阪湾岸・古河内湖周辺から奈良盆地という「高地性集落」への移住であろう。奈良盆地出土銅鐸がいわゆる「鳴る銅鐸」なのも生き延びた人々が避難を促してくれた「半鐘」を神器化し、鳴る機能を最重要視しているからだ。表面の紋様に流水紋があるのも肯ける。 #お宝ガレリア
2017-01-11 23:24:54摂津西部・山城・大和では一度として“見る銅鐸”の祭祀が行われることがなかったということになります。もう一度強調しておきますが、素性の怪しい纏向の双頭渦紋片を除いて大和(奈良盆地)からは“見る銅鐸”は出土していません。驚かれている方がいるかもしれませんが、事実はそういうことです。“聞く銅鐸”が少なくない数出土していることと考え合わせて見れば、おそらく大和では“見る銅鐸”の祭祀は行われていなかったものと思われます。
じねん
@jinensai
「舌」が抜かれ、神話・伝承にも語り継がれず、銅鐸の使用目的も分からなくなった理由は、やはりその主体である「王朝」が極端に否定され、なかったことにされたからだろう。別の由来や縁起を絡めて誘導したり、同様の施策を繰り返すことで「記憶」の上書きがなされたのだ。 #お宝レガリア
2017-01-11 23:37:20