【完結】図書館大戦争(仮)
「……っ!」朔太郎は歯をがちがちと鳴らしながら震えていた。夥しい量の「孤独」「疎外感」「な」「崩壊」「病」といった文字が彼を囲んでいた。そして彼はまるで何かに縛られたかのようにその文字たちに銃口を向けることができずにいた。彼の銃口は――彼自身のこめかみにぴたりと当てられている。
2017-01-31 17:00:53無論彼の意志ではない。だが彼自身の力でそれを離すことができないのだ。彼を囲む文字の外から犀星の声が聞こえる。今助けてやるという頼もしい声からもう何分経っただろう。犀星も力を尽くしていた。だが敵の数が多すぎた。犀星の銃弾で崩れた「外」の字が「れ」に変形し、犀星を嘲笑うように揺れた。
2017-01-31 17:07:53「きりが……ないっ!おい朔っ!!生きてるか!?」敵を撃ち抜きながら犀星は叫んだ。朔太郎はからからに渇いた喉で返事をしようとしたができなかった。見覚えのある文字列が朔太郎の身体の上を這っていった。三文字の女の名だった。美しくも苦しい日々が思い出され、朔太郎を苛んだ。
2017-01-31 17:12:31犀星は犀星で目の前の文字列を忌々しげに見つめていた。「立」「女」その二文字が一文字を形作り、踊る。犀星はそれを撃ち抜いた。それと同時、似たような文字が犀星を背後から襲った。「ぐっ……!!」犀星は地面を転がりながら、敵の姿を見た。「母」という文字がそこにあった。
2017-01-31 17:17:42「!」朔太郎は文字に囲まれた暗闇の中で、犀星の声と銃声が止んだことに気がついた。まさか。ぞっとした悪寒が駆け巡った。「犀」唇が動き、声が出た。「……犀!」今度は意識して強く声を上げた。犀星。前世でも、この図書館でも、共にいてくれた二魂一体の友。それが今、失われようとしている。
2017-01-31 17:25:35それは嫌だ!朔太郎は強く思った。孤独という文字が怯えて逃げていった。犀星は、いつも泣いている朔太郎を慰めて、助けてくれた。彼が危険な時ですら、己は泣いて、助けを待つばかりなのか?「それは……」朔太郎は己を奮い立たせた。がたがた震えて、それでも、手は動いた。朔太郎は銃を――構えた。
2017-01-31 17:31:08バンッ!朔太郎の手の中で音が弾けた。狙いも何もなかったが、そもそも周囲が真っ暗になるほどに文字に囲まれていたので外すことはなかった。憂鬱という文字が崩れ、風穴が開いた。目の前に差し込んだ光に、朔太郎は息を飲み、叫んだ。「今、助けるよ、犀!」
2017-01-31 17:45:35そうだ。こんなもの。こんな敵!詩を産み出すことと比べれば!友を失うことと比べれば!いったい何であろう!朔太郎は更に二発撃ち、とうとう暗闇からまろび出た。見慣れぬ言葉――方言だろうか――の前で膝をついていた犀星のもとに駆け寄り、その腕を取った。犀星がはっとして顔を上げた。
2017-01-31 17:52:31「犀、いける?」「……ああ、大丈夫だ!」二人は並び立ち、残る敵に向け引鉄を引いた。ドン、ドン、ドンッ!撃ち尽くす。だが、詩人の弾は彼らが生み出した作品と魂そのものだ。すぐさま言"弾"を補充し、朔太郎は再度撃った。隣でも、犀星が弾を込め直していた。そのうつくしい詩を。
2017-01-31 18:29:36――ああ。朔太郎は心が打ち震えるのを感じた。そうだ。このうつくしい詩に、この詩人に、己は恋をしたのだ。それは、あの女性(ひと)への悲しくも美しい恋心よりも更に激しく己の胸をざわつかせ、ときめかせたのだ。そして二人は友となった。それを思い出した朔太郎に、怖れるものは何もなかった。
2017-01-31 18:34:39「……ふー、これで全部か?」「そうみたいだね」周囲の敵が全て砕け散ったのを確認してから二人は銃を下ろした。そしてようやくここがどこかを把握した。図書館――に極めてよく似た何か――の二階、視聴覚室である。「助けてくれてありがとうな、朔!」「犀にはいつも助けてもらっているから……」
2017-01-31 18:50:27「それでこの状況……どう思う?夢……じゃ、ないよな?」「うん。本の中にいるときと同じ感覚がする。潜書した覚えはないけど……」「俺もだ。……んー……とりあえずは」「うん、白秋先生を探そう」二人は頷き、視聴覚室の扉を開けて廊下に出た。白秋がいそうな場所――喫煙所を目指して。
2017-01-31 18:54:19図書館に残された司書は館長と協力して倒れた文豪達を図書館内、本館一階へと運んでいた。机と椅子をどかして作った空間はあまりよい環境とは言い難かったが、これだけの人数を寝かせておける場所はここしかなかった。それにここであれば医務室も近い。万が一があったときにも対応できるだろう……。
2017-02-01 19:03:47「ここまで真っ黒だと何の本かすら特定できないな」館長が厳しい表情で言った。巨大な洋墨瓶に落として引き上げたかのように真っ黒な本から読み取れるのは厚みと判型のみだ。いくら国内全ての本を蔵書として抱える帝國図書館でもこれだけの情報で本を特定することは不可能である。
2017-02-01 19:07:52「送り主に心当たりもニャイとなると……」ネコが本棚の隙間から飛び出してきた。その毛並みはあちこちを駆け回って三十人以上の文豪を探し回ったためにすっかり乱れていた。司書は咄嗟に、ここに新たな文豪を呼んで潜書させられないかと館長に訊ねた。館長は首を横に振った。
2017-02-01 19:10:46まず司書に代わって有魂書に潜書できる文豪がいない。館長の返答は概ねそのような内容だった。館長やネコが新たな文豪を連れてきても、彼らの力では別の本に移すことができない。かつて鏡花がそうやって一度秋声と別れたときのように、魂を現世に定着できないのだ。司書は本を前に頭を抱えた。
2017-02-01 19:13:49そして軽率に正体不明の本を開いてしまった数十分前の己を恨んだ。もう少し注意するべきだった。警戒すべきだった。もう少し……。 司書は一通りの後悔をしてから頭を振った。今はただ彼らを信じ、本の外からできる支援をするしかない。彼らの少しの変化も見逃さないよう司書は再び、顔を上げた。
2017-02-01 19:20:29「なんだここは……おい、ムシャ!そこにいるか!?」「僕ならここにいるよ」「うおっ、びっくりした!」真後ろから現れたムシャに直哉は叫びを上げながら振り返り、それからはあと溜息を吐いた。「全く、俺達夢でも見てるのか?」「うーん」ムシャは曖昧に答えた。
2017-02-01 19:26:06「図書館じゃ……なさそうだな。森か?」直哉の言葉に応えるかのようにざわざわと葉が鳴った。森だ。直哉は舌打ちした。「明晰夢ってやつか」「そうみたいだね」「はーぁ、どうする、ムシャ。さっきの将棋の続きするか?」「うーん」「……いや、やっぱいい。どうせ俺が勝つからな」「そうだね」
2017-02-01 19:35:15「志賀は将棋強かったもんね。碁はさっぱりだったけど」「言うなよ」直哉はかつての弟子と打った将棋を思い出しながら肩を竦めた。奈良の頃だ。あんまりにもそいつが弱いから自分に勝ったら一円やると言ってやったが結局そいつはただの一度たりとも直哉に勝てなかった。あの弟子の名は確か……。
2017-02-01 19:39:47回想に耽る直哉の肩に葉が落ちてきた。正しく言えば「葉」という漢字が落ちてきた。直哉はぎょっとしてそれを振り払い、空を見上げた。ついさっきまでざわざわと鳴っていた葉は、どれもこれも葉という漢字だった。「……ッ、なんだ、まさかここ……本の中か!?」「そうみたいだね」ムシャが同意した。
2017-02-01 19:50:35「そうみたいだね……って、なんでそんなに冷静なんだよお前はッ!」直哉はムシャに言い返しながら自らの本を意識した。すぐにそれは使い慣れた刃へと姿を変える。やはりここは有碍書の中だ。「どういうことかさっぱりわからんがとにかく行くぞ、この森は抜けたほうがよさそうだ!」「うん!」
2017-02-01 19:54:47