- ryuseiasahina
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小林秀雄は現象学の現象を大事にしてるのかな? 物質的に何が起きた、というより、 頭の中で何が起きたか、何を感じたか、経験したか。 教育でも、物質的な情報より、経験・感覚を与えることを考えている?
2017-02-04 11:06:43『日本批評大全』、買った。 解題の一部と付いてた冊子の対談を読む。 面白そう。 最近、ほんのちょっとだけ小林秀雄の文章とか対談を読んで、面白いじゃん、 って思ってるのだけど、批判されてるのかなぁ。
2017-02-05 01:17:32文学部と表象文化論の対立って、実感と理論の対決と言ってもいいのかなぁ。 表象は文学部の研究を、なんの理論的根拠づけがないものとしてて、 文学部は表象の研究を文学部的テキスト研究の歴史を踏まえないことを批判してるのを聞いたことあるけど。 どっちもいいね! でよくない?
2017-02-05 01:17:38前は、印象批評とか、ただの感想文みたいのが、 「それ、なにを根拠にしてるの?」って感じで、 好きじゃなくて、 理論を根拠にしたものの方が好きだったけど、 「様々なる意匠」を読んでから、印象批評でもいいじゃん、と思ったり。
2017-02-05 01:21:03批評が文学・詩になる、っていうのも、 ちょっとわかる気がする。 というのは、 たとえば、芸術が、「それ要約して、口で言や、よくね?」 ということを作品にしても意味がないように、 ある種の批評は、要約できない、感覚に訴えるものになるのかなぁ、と。
2017-02-05 01:22:18論理的な展開って、 たとえば、x+1=4の時、x=3だとしたら、 両者の式は同じことを意味してて、 あるいは、必要十分条件とか対偶・裏とか、 基本的に同じことをひたすら違う風に言うことなのかな、と。
2017-02-05 01:25:29でも、たとえば、 算数の問題分のはじめに 「ここにリンゴが3個あります」 と言って、 その仮定から始めるけど、 現実には、本当にリンゴが3個あるかわかんなくない?と。 そこは感覚的にそう見えるから、 たぶん、リンゴが3個あると信じてるわけで。
2017-02-05 01:28:20印象批評は、自分の感覚のみを頼りにしてて、 それが根拠として弱くない?と思ったのだけど、 理論だって、最後の落とし所は感覚じゃないのかなぁ、と。
2017-02-05 01:31:31たとえば、 印象画の効果、荒い点描が遠目に見ると像に見えるかも、という効果、 について、 今であれば、 目の棹体・錐体とかの受容体?とか、脳の構造とかで、ある程度、説明できるのかもだけど (でも、アポリアの問題がある?) 当時は、感覚的に「分かる〜」という程度では?
2017-02-05 01:35:49あと、目の棹体・錐体について、 本当にうろ覚えだけど、 片方が光の陰影を、もう片方が色を見分けて、 色を見分ける方が、色?光?の三原色と一致してた、 と思うのだけど。 でも、アポリア?の問題かもだけど、 その色の三原色と一致する、 というのも感覚からしか語れないのでは?
2017-02-05 01:38:35「様々なる意匠」を読んで、妄想したのは、 理論も、結局、感覚由来でしょう、みたいなこと。 でも、小林秀雄は、 理論自体を批判してる、というよりは、 感覚→理論のラインを維持せず、 理論のみから語ると感覚がこぼれ落ちるのでは? と。
2017-02-05 01:40:59あと、理論も結局、根が感覚ならどうせ同じなんだから、 理論すっ飛ばして、直接、感覚を書きゃよくない? みたいな?
2017-02-05 01:42:25オリザさんの演出方法、秒数指定や声の高低なども、 かなりメソッド的に利用できそうだけど、 結局、どの状況で、どこに対して、「一秒あけて」と言うかは、 感覚に頼った職人技で。 その感覚抜きに、理論っぽいメソッドは使っても、ねぇ、と。
2017-02-05 01:45:42ただ、印象批評で危うい、というか、 印象批評に対して遊べそうな要素として、 印象も、ある経験や知識に基づいて生まれてるかもで、 生の印象、というのを信じるのは危ういかも、とか。 印象を一個、メタく観察できそう。
2017-02-05 01:48:34小林秀雄の自分の感覚を語る?というのと、 『読んでない本について堂々と語る方法』の、ある本について語るということは、自分について語ること、自分の知識・経験について語ることだ、 って、 ちょっと似てる気がする。
2017-02-05 01:51:34理論を、ただ作品に当てはめていっても、 面白くなくない? というのも、まぁ、あるよね。 (僕が書いてる文章、大概、そんなんですが) それよりは、理論以前の発見としての印象批評を、みたいなことも言えるのかも。
2017-02-05 01:54:17ただ、理論の当てはめ方がうまい、 とか、 理論を引っ張ってきたことで、 新しいものが見えた、 とかはあるのかなぁ。 逆に、凡庸な印象批評だと退屈? (非凡な印象批評を求めて、本当は感じてもいないことを書いても違うと思うし。。)
2017-02-05 01:56:29阿呆の考える、休むに似たり、 だけど、 楽しみや意欲の少ない人生で、珍しく、手間かけて打ってるので、 ご容赦を。
2017-02-05 01:57:54論理とか算数の話と、理論と実感の話が絡んでない? どんな論理も仮定に基づいたもので、 仮定は、数学のように頭の中の世界じゃなければ、 感覚的に信じて、作るしかない。 理論を支えてるのも実感でしかない。 似てると思ったけど、あまり関係はない?
2017-02-05 02:15:00既存の理論を今の作品に、ただ当てはめる文章を書いたのは、 それも、今ならありじゃね?と思って。 理論って、ちょっと知ったら面白くて便利だけど、知られてないなぁ、とか思ったりして。 印象で書いてもいいけど、それが昔に理論化されてて、より精密に語れるなら使っても良くない?とか。
2017-02-05 03:04:50