「南三陸町の防災対策庁舎へ行ってきた」から始まるなにわっちさんのつぶやきまとめ

まとめました。
19

言うまでもないことですが、「逃げるだけの時間があった」というのは結果論であって、当時その場にいれば、いつ津波がくるかなんてことは当然知るはずもありません。

micky__s @micky__s

当日に陸門閉鎖を確認する任に当たった立場から言わせてもらうと、地元の人間があの揺れ続ける大地震の中で津波による身の危険を感じないはずがないわけで、すぐ避難せよとの事前指示もあった中で陸門のそば(=海の直近)に留まる理由もなかった。「今きたら死ぬぞ」と覚悟しながら高台へ走った。

2017-03-13 23:58:53

※「「今きたら死ぬぞ」と覚悟しながら高台へ走った。」の主語は、飽くまでも自分(まとめ主)ですので、念のため。

micky__s @micky__s

防災庁舎以外で亡くなった人たちの顔ぶれを思い出すと、おそらくは、自らが高台へ避難する途中で交通渋滞などが発生している状況を目の当たりにして放っておけずに避難誘導に当たっていた方もいたのだろうと推察されます。実際、そういった話も伝え聞いたし。

2017-03-14 00:02:25
micky__s @micky__s

実際、消防職員だった同級生も、一緒に陸門閉鎖を確認した消防団員も、避難誘導に当たっていて逃げ遅れたときいている。

2017-03-14 00:05:48

※一緒に=自分(まとめ主)と一緒に、の意。

micky__s @micky__s

さっきの「指示は事前に出ていた」は、その前の津波警報・注意報対応からの反省で、そういう行動をとれという指示が配置計画の段階であらかじめ出されていた、ってことで。

2017-03-14 00:11:27