@yk_tani なんか構造主義だけじゃなくてマルクスも唯物論という意味じゃ主体の否定じゃん、ってとこが引っかかってるんだけどわかる?orz あと、「自由による因果律」のとこの発想が関係論っぽいっていうだけかとおもったんだけど…やっぱ主体性の文脈なのか?
2011-03-07 22:50:52@okuchap 不勉強な僕には数学による解析はわからんが、構造とは関係性のネットワークと個人的に解釈している。主体が実体をもって存在するのではなく他者との関係によって初めて定義されるみたいなニュアンスが、授業では強調されていたように感じた。
2011-03-07 22:55:48@yk_tani @okuchap なんかよく分からないけどなにもない空間にある点が、原点とかxy軸とったりすると座標として認識できるみたいなちょっと個人的に偏った理解してる。
2011-03-07 22:58:16やはりポストモダンとかポストロックとかポスト菅とかポストがつくものかならずのちにお笑い草になる運命らしい
2011-03-07 23:01:34@okuchap というか授業の中身が薄すぎてそれくらいしか…ぎゃくにはじめての構造主義すら全然理解できてない(+忘れた)ことが判明して萎えた
2011-03-07 23:48:39「じゃっくんの絵はYAZAさんシグリオさん界隈と方向性が似てる気がする」ですてえええええーーっ!!!キャー嬉しい本当に嬉しい! きっと絵柄とかはそんなに似てないはずだと思うけど、そういわれると凄く嬉しい!!
2011-03-07 23:55:20@atsu_explosion @okuchap 薄いというか、トピックが多かった。それが薄いということなのかもしれないが。
2011-03-07 23:55:21ブックトークの所為でさらに時間なかったし なんかひとつにはS田(おれじゃないよw)さんが専門家じゃないから浅く広くにならざるをえないっていうのもあったような気がする @yk_tani@okuchap
2011-03-08 00:00:59かんじおわらない…まずわからない漢字をあぶりだす作業にかれこれ2時間かかっているw 政経ノーベンフラグw
2011-03-08 00:02:118.とりあえずソシュールの考えに乗る。まず、ヒトはモノ自体を捉えることは不可能。人は記号によって表象されたものしか認識できない。そして、その記号(世界認識の手段)はシニフィエにシニフィアンを恣意的に結びつけて作られた。ここで恣意的な差異の創造、世界の意図的な分節化が起こる。
2011-03-08 00:04:389.こう捉えると「言語は差異の体系である」というのもわかる。ヒトはものを「あれは○○とは違う」というふうにして認識していく。 差異の恣意的な創造という点では想像の共同体とも似ている気がする。これが関係論的な捉え方。数学でいうとベクトル的なのかしら。
2011-03-08 00:08:34@okuchap サピア=ウォーフへの批判。①相関は言えても因果関係は言えない②論証に言語を使ってて循環論法になっちゃってる。 とかがあった。
2011-03-08 00:09:1610.ちょっと脱線。 と考えると、カタカナ語というのはよくわからない。"プライバシー"は日本語にはない概念だから、そのまま輸入して使う、みたいな説明をよく見るが、ソシュールの考えでは言語は差異の体系の中でのみ意味を持つから英語から日本語の体系に移された時点で意味がなくなるのでは?
2011-03-08 00:11:2311.脱線続き。となると、カタカナ語を日本語の中で使うというのは、"切り身の魚"="実は獰猛な魚"を逆輸入(ミュージアムの話)していることであって、そこらへんがカタカナ語を好きになれない理由なのかも、とか思ったりした。
2011-03-08 00:13:39@okuchap "差異"は①その言語のほかの語の中での差異②他の言語との比較、の2点の意味が含まれているので、意味はずれても無くならないのでは?
2011-03-08 00:14:12