セント・パトリックス・デイとケルト古教会

3/17はアイルランドの守護聖人・聖パトリックの祝日「セント・パトリックス・デイ」!今や世界中で大々的にお祝いされるこのお祭の由来と、アイルランド中心に息づくケルト古教会の文化をご紹介します!
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教会暦たん†カレン・キルヒェ🕯️🎄 @kalen_kirche

先ほどはアイルランドからオーストリアに飛んでファッ!?ってなった方も多いかと思いますが…そう、ケルトはアイルランドはじめ西の端の島国に留まらず、古代末期から中世初期まで文明をリードする先進地帯…中世西欧に大きな影響を与えたのです! twitter.com/kalen_kirche/s…

2017-03-24 21:35:00
教会暦たん†カレン・キルヒェ🇺🇦🕊️🇮🇪☘️ @kalen_kirche

民族大移動とローマ帝国衰退でヨーロッパ内陸部が混乱していた時期(476年西ローマ滅亡)、ローマ帝国に属さず、フン族やゲルマン人の襲撃も受けず、海の道でエジプトなどと繋がったアイルランドは、聖パトリックののちキリスト教を中心とする先端文化地帯として飛躍的に発展します。

2017-03-20 00:05:40
教会暦たん†カレン・キルヒェ🕯️🎄 @kalen_kirche

そもそもケルト族は、カエサルのガリア戦記からローマ帝国に取り込まれてアイルランドを中心とする西の端(ほぼ今のいわゆるケルト文化地域)に追いやられるまで、アルプス北麓から発して今のフランス・南ドイツ・北イタリア・イベリア半島にまで広がる大文化圏を築いた西欧の基層民族なのです!

2017-03-24 21:40:26
リンク Wikipedia ケルト人 ケルト人(ケルトじん、Celt、Kelt)は、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。古代ローマ人からはガリア人とも呼ばれていたが、「ケルト人」と「ガリア人」は必ずしも同義ではなく、ガリア地域に居住してガリア語またはゴール語を話した人々のみが「ガリア人」なのだとも考えられる。ブリテン諸島のアイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、コーンウォールから移住したブルターニュのブルトン人などにその民族と言語が現 28
リンク Wikipedia ケルト国 ケルト国(ケルトこく、英語: Celtic nations、セルティック・ネイションズ)は、北ヨーロッパおよび西ヨーロッパの、地域独自のケルト語、芸術、歴史、音楽、舞踊、文学といった文化的特性が今も残る領域を指す名称である。ネイション(nation)という言葉は元々、共通の伝統的なアイデンティティーや文化を共有する「人々」を意味する言葉として用いられ、歴史的な領域、国、または地域として識別される。ここでのネイションは主権国家と同義語ではない。ケルトの国として認識される6つの地域は、ブルターニュ(Breiz
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そして不思議なことに、西ローマ帝国滅亡後、アイルランドを中心とする「島のケルト族」は、ちょうどかつての故郷を文化的レコンキスタするように、アルプス北麓を中心とする西欧各地にケルト古教会文化を弘めて行きますスイス東部のザンクトガレン修道院には、アイルランドそっくりの古写本が… pic.twitter.com/Qgmo2d9dFR

2017-03-24 21:44:37
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リンク Wikipedia ザンクト・ガレン修道院 ザンクト・ガレン修道院は、スイスのザンクト・ガレンにある中世以来の歴史を誇る修道院。現在の建物は18世紀に建造されたものであって中世修道院の面影はないが、バロック建築の傑作として評価されている。また、かつて何世紀にもわたりベネディクト会の中心的修道院のひとつであったこの修道院の付属図書館には、数多くの写本や稀観書が収蔵されている。この修道院と図書館は、1983年にユネスコの世界遺産に登録された。この修道院はアイルランドから来た(en)聖ガルス(en)が613年に設立したものが母体となっている。修道院となっ
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ザンクトガレンは、奇しくも初期ケルト文化の二大遺跡、ハルシュタット(オーストリア中部)とラテーヌ(スイス西部)のちょうど中間くらい…名前の由来・聖ガルスの師匠、聖コルンバヌスは、アイルランドからフランス・スイス・オーストリアを経て北イタリアまでの大布教の旅で知られています。

2017-03-24 21:47:34
リンク NAVER まとめ 聖コルンバヌス 聖コルンバの弟子であった聖コルンバヌスは、倫理的で厳格な修道制を... : 【ベスト10】ウィキペディアの長いページ【なげぇ!】wikipedia - NAVER まとめ 聖コルンバヌス 聖コルンバの弟子であった聖コルンバヌスは、倫理的で厳格な修道制をガリア地域にもたらしてたちまち熱狂を巻き起こし、6世紀後半、一大修道院設立運動が起こった。図はブルニャートの聖コルンバヌス修道院にあるフレスコ画 クロタール2世の時代はメロヴィング朝の教会政策においても転換期となっている。クロタール2世は、ガロ・ローマン的セナトール貴族を支持基盤としていた王妃ブルンヒルドに反発したアウストラシアのゲルマン貴族に支持されており[出典 85]、従来のセナトール貴族と結びついた司教制度は衰退に向かい
リンク www.eu-alps.com St.Colombano 聖コロンバーノ/聖コルンバヌス/聖コルンバ St.Colombano/聖コロンバーノ/聖コルンバヌス/聖コルンバ:ヨーロッパ・アルプス山岳道路峠・聖人
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聖書をラテン語に翻訳したことで知られる聖ヒエロニムスは、387年頃、アンキュラ(ガラティア:今のトルコの古代ケルト族植民地)とトリーアドイツ西部)で同じケルト語が使われている」と書いているそうで…ガラティアにケルト族が植民したのは紀元前3世紀頃驚くべき文化維持力ですね…!

2017-03-24 21:53:53
リンク Wikipedia ヒエロニムス エウセビウス・ソポロニウス・ヒエローニュムス(Eusebius Sophronius Hieronymus, 347年頃 - 420年9月30日)は、キリスト教の聖職者・神学者。聖書のラテン語訳であるウルガータ訳の翻訳者として知られる。四大ラテン教父のひとりであり、正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人とされる(カトリックでは教会博士)。日本ハリストス正教会での呼称は克肖者イエロニムである。ヒエロニムスはダルマティアで生まれた。両親はキリスト教徒だったが、彼自身はキリスト教に興
リンク Wikipedia ガラティア ガラティアまたはガラテヤ(Galatia)とはアナトリア(現代のトルコ共和国)中央部を指す古代の地方名および王国名。現在では新約聖書の『ガラテヤの信徒への手紙』で知られる。アンキュラ(現在トルコの首都アンカラ)を首都とし、北はビティニアとパフラゴニア 、東はポントゥス、南はリュカオニアとカッパドキア、西はフリュギアに接する。フリュギア東部とともに、ヨーロッパから侵入したガリア人(ガラティア人)に支配され、ガラティアの名もガリア人にちなむ。彼らは紀元前3世紀に支配者になった。このガリア人たちは、当時トラキア

ガラティア語はヒエロニムスの時代(387年頃)にも話されており、彼は「アンキュラとトリーア(現在ドイツ)で同じケルト語が使われている」と書いている。

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もしかするとローマ帝国の興亡を経てなお、聖コルンバヌスの時代(600年頃)からその後にかけても、フランス東部・ドイツからスイス・オーストリアにかけての「大陸ケルト」の地では、アイルランドを中心とする「島のケルト」と意思疎通可能なほどケルト語が残っていた…のかも知れませんね!胸熱!

2017-03-24 21:57:16
sugimotoaki @momijitakao

20世紀前半くらいまではアメリカの移民1世には古代ゲール語の一種を話す人がいたと聞いたことがある。 twitter.com/kalen_kirche/s…

2017-03-24 22:04:28
教会暦たん†カレン・キルヒェ🕯️🎄 @kalen_kirche

今でも、カナダのニューファンドランド・ラブラドール州やノバスコシア州などには、ケルト系ゲール語が僅かに残っているそうですね! RT @momijitakao 20世紀前半くらいまではアメリカの移民1世には古代ゲール語の一種を話す人がいたと聞いたことがある。

2017-03-24 22:09:57
教会暦たん†カレン・キルヒェ🕯️🎄 @kalen_kirche

最後に…アイルランドに近いイングランドのものですが、ロマネスク期~初期ゴシック期にあたる12世紀のかわいらしい古写本を…イエスのエルサレム入城と、アイルランドの聖人ケヴィンの像です。ケルト絵画の面影がある気がしますね…この時代の絵はとってもかわいらしくて大好きなカレンでした♪ pic.twitter.com/ruU2PV0QBv

2017-03-24 22:00:45
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