平山優「武田氏滅亡」関連まとめ~火の章 なぜ『長篠』は750Pある本の中で、50P目に過ぎないのか?・講演会の様子も収録

次回まとめは、もう少しゆっくり作ろうと思ってたら、関連ツイートが目について作らざるを得なくなっちゃったんだよ!最近、著者・平山優氏の講演会もあり、そのレポートもいろいろ。 少し、前のまとめとかぶっているツイートもあったりしたらご容赦を。
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ニケ @LingkoNIKI

この回の肩もみ見てると、叔父上はロボットでもなく無謬でもなく無敵でもないんだなあと #追丸10話

2017-03-12 23:50:59
あかる @akaru_m

@LingkoNIKI 人の道捨ててない!って思いますよね

2017-03-13 01:24:24
武田勝頼 @t_katsuyori

また、古府中の狭さも府中を移さねばならない理由の一つでした。武田氏滅亡後甲斐を手に入れた徳川家康は一条小山に縄張りして甲府城を築かせました。江戸時代の甲府はこの城を中心として広がり、躑躅ヶ崎館を核に据えた古府中は甲府のほんの一角に過ぎなくなりました。

2017-03-13 05:13:26
兵衛ノ介 @fujikko

@fujikko この虚報、信長公記の書き方では主語が省略されていて、偽情報を流した主体が明らかではない。武田方がわざわざ越中に撹乱情報を流しても直接的には利益がない。織田方が自作自演で流したと解釈する深読みもあるが、普通に考えたら魚津城を攻囲されている上杉方が流したものだろう。

2017-03-13 05:58:11
兵衛ノ介 @fujikko

ところで『甲陽軍鑑』によると、作者の春日惣二郎は武田家滅亡当時、越中神保家中におり、織田側から上杉家との戦いを見ていたという(軍鑑品五十八)が、この虚報のことには触れられていない。…というか、そもそもなぜ春日惣二郎がこの時神保家中にいたのだろう?

2017-03-13 07:04:56
清風 @clair_vent

@fujikko 信長公記なんですが、真面目に読んだ事がないので間違いかもしれないですが、後の手取川の戦いに触れてないらしいので、太田牛一はあの辺の情勢に疎かったのではと疑っているのですが…。

2017-03-13 07:18:02
兵衛ノ介 @fujikko

@kiyo38z 確かに手取川の戦いには触れられていませんね…ただ上杉側からもあの戦いの史料は9月19日付長尾和泉守宛謙信書状がほとんど唯一で、実際には誇大報告ではないかとも言われますから、微妙ですね…

2017-03-13 07:27:42
清風 @clair_vent

@fujikko 信長公記にしか書いてないもしくは信長公記には書かれてない戦いの有無って難しいですよね。三河の第一次小豆坂の戦いなんかも起こってない説が強いですし。

2017-03-13 07:34:33
兵衛ノ介 @fujikko

@kiyo38z そうですよね。小豆坂くらい昔になると牛一の記憶もアテにならない気もします。首巻ですし。手取川に関しては、本当に織田軍が大敗したのなら京都や奈良の公家や僧侶の日記に噂程度でも載っていてもいいと思うんですが。この戦いで討死したという織田方武将も聞きませんし。

2017-03-13 08:21:47
清風 @clair_vent

@fujikko 小豆坂に関してはその後に織田信秀の勢力が岡崎まで及んだ節が見られるので多少はあってもよさそうだと個人的には思います。 手取川は大敗はしてないでしょうけど、信長公記には無いから無いという考え方はちょっと疑問を感じちゃいます。

2017-03-13 12:32:17
まやや&充実 @mayaya_jujitsu

「一回の大敗北で重臣の多くを一気に失う」「領国を立て直すために中央集権化に乗り出すが、それが家臣団の不満を増大させる」「敵が侵攻してきた際、家臣団の寝返りが相次ぎ、防戦できないまま本拠を放棄する」…と今川氏真と武田勝頼の転落の共通点は結構多い

2017-03-13 13:07:00
まやや&充実 @mayaya_jujitsu

では武田勝頼と異なり、なぜ今川氏真は生き延びることが出来たのか?理由は三点あるのではないか。1:氏真は北条氏康との同盟関係が未だ健在で、上杉謙信とも同盟を築きつつあったこと

2017-03-13 13:07:19
まやや&充実 @mayaya_jujitsu

2:氏真は本拠駿府を失陥した後、掛川城に篭城し、徳川軍の攻撃を半年間防いだこと。3:その篭城戦の間に、敵方である武田信玄と徳川家康との同盟に齟齬が生じたため、氏康を介して家康と和睦を結べたこと

2017-03-13 13:07:36
まやや&充実 @mayaya_jujitsu

個人の力量以上に、周辺諸国や国内事情の状況が生き残れるか否かを大きく分けたのだろう。平山優氏が『武田氏滅亡』の末尾に記したように、滅亡の要因を勝頼の個人的資質に全て押し込めて説明することは出来ない、流動的かつ多様さがもつれ合う当時のその瞬間の状況が生存と滅亡との命運を分けたのでは

2017-03-13 13:09:32
ニケ @LingkoNIKI

@akaru_m いろいろ考えたんですが、人の道って、一回捨てたらそれっきり有効ってものでもなく、必要に応じてそのつど捨てたり捨てなかったり捨てそこねたりするものじゃないかって気もしました ――って、ゴミの出し忘れみたいに言うなよ

2017-03-13 15:47:59
まとめ管理人 @1059kanri

「織田信忠は総大将であるにも関わらず自身が武器を携え味方の士卒と先を争って高遠城の塀際に取り付き塀に上がって全軍に城内への突入を指示した」(武田氏滅亡) これは間違いなく織田第二世代武将…。蒲生氏郷や黒田長政の同類…。

2017-03-13 18:25:09
トミー @chocottom16

@1059kanri 森長可も引き連れてたりしますからね……典型的に、織田系の2代目とか次世代気質の若者で、父から武田攻めるな言われても攻めたり、でも織田を継ぐ者として控えめにならなきゃいけなかった面もあるんでしょうか……武田氏滅亡まだ未読なので、楽しみです……(?)

2017-03-13 18:31:10
まとめ管理人 @1059kanri

@chocottom16 武田氏滅亡、大著ですが本当に面白いので、ぜひぜひ!

2017-03-13 18:34:12
トミー @chocottom16

@1059kanri 最近、応仁の乱と一緒に購入したので絶対読みます!織田大好きから武田はどんな敵だったのかなから入ってしまった武田も大好きなので!読みます! 応仁の乱を先に何度も読んでて、武田のブームや時代が私の中でまだ来ませんが……orz

2017-03-13 18:40:30
兵衛ノ介 @fujikko

@kiyo38z 東海地方に関しては疎いのですが、近年菩提心院日覚書状の分析によって議論が活発になっているようですね。越中とも関わるので興味深いです。仰るとおり、信長公記に載ってないからといってなかったとは言えませんね。手取川の戦いは、規模としてはおそらく大きなものでは(続)

2017-03-13 19:25:54
兵衛ノ介 @fujikko

@kiyo38z なかったと思いますが、実際あった出来事だろうと思います。謙信としては、初めて直接織田軍と槍を合わせた戦いだけに、あえて書状の中で勝利を強調してみせたのかなと推測します。

2017-03-13 19:29:16
どてかぼちゃ@チンチン甲甲甲 @nakayoshi1969

「武田氏滅亡」読了。 浅間山さえ噴火しなけりゃ一波乱二波乱あったんだろうなあ。

2017-03-14 01:17:06
あかる @akaru_m

@LingkoNIKI もにょもにょ考えてたんですけど、「必要に応じてその都度」「捨て損ねる」って最高じゃないですか?素晴らしい気付きをありがとうございます!という頭悪い感想から発展しませんでした💦ニケさん最高です

2017-03-14 08:18:51
ニケ @LingkoNIKI

@akaru_m 他の方へのお返事にも書いたんですけど、当然、2回目は抵抗が薄くなって、回数を重ねることでだんだん平気になっていくと思うんです。パッパやシュッパはもうその境地に達してるから今さら何を? ですが、彼はまだ闇墜ち一年生だけに、一番抵抗が強かった時期じゃないかなって

2017-03-14 09:20:20
ニケ @LingkoNIKI

@akaru_m んで、甥っ子にしてみたら、完成品のパッパやスッパを見るより、叔父上の現在進行形に立ち会っちゃった方が生々しくて衝撃も大きかったんじゃないかって

2017-03-14 09:25:16
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