人文学の社会的価値は「生きやすさの実践法」の探究にあるのではないか~「人文学は何の役に立つのか?」(道徳的動物日記より)の議論に関する私見~
- naka3_3dsuki
- 5527
- 22
- 2
- 424
次のはてなダイアリーを読んで考えたことを、今回、まとめました。
仲見満月の私見
真正面から議論しても反駁されるから、文学者には諦めている人がいる。道徳から派生して、社会的な規範を問い直し、個人個人や集団が生きやすいようにするというなら、人文学も寄与しているのでは?自己啓発本とか / “人文学は何の役に立つ…” htn.to/5YHmxJ
2017-04-01 08:18:16私は文学作品や雑記等の文献を材料に使う立場だから、どちらかというと文学者ではなく、歴史文化学的なことをやっている。生活文化史とも言える。文学作品から、当時の人々の精神性を読み解く立場である。前近代の世界の住宅内で、民が宗教行事を通じて、どんなことをきがんしていたのか?
2017-04-01 08:25:37大雑把に音声つきチャットのコメントで書いたことがあるけど、家の中で、行われた民衆のお祭りを通して、その意義をとおして、どんなご利益を参加者が求めていたのか?というところから、人間が求めてきた切実な願いを明らかにする研究をしてきたのである。
2017-04-01 08:32:38この「お祭り」は、通過儀礼を含む冠婚葬祭から法事、季節ごとの行事。日本の現代社会で言うところの入学式や卒業・修了式、就活、入社式等の式典。それから、歓送迎会、そして忘年会や新年会などの共同体や個人の節目になる飲み会も、広い意味では含まれている。
2017-04-01 08:38:43訂正:ファン・ヘネップ『通過儀礼』の岩波文庫版によれば、大雑把に言うと、地球上の歴史いえば人間の年中行事も、大きな意味では通過儀礼になるらしい。ここでは、地球規模ではなく、より小さな民族や人間の集団組織や共同体としよう。 twitter.com/naka3_3dsuki/s…
2017-04-01 08:46:02その集団組織や共同体は、それに含まれる個人個人が生きのびるライフライン的な意味で、この「お祭り」をしていた。長期に渡り、同じ構成員のままだと、歳をとるごとに育児や介護で人手がいるし、最終的に構成員が死んで減る。人間関係も変わってくるし、しがらみでギスギスしてくる。
2017-04-01 08:49:18構成員が死んで減ると、これらグループの維持ができなくなり、残りの構成員の生命存続にも関わってくると。だから、結婚や就職等を通じて、新たな構成員を迎え入れ、古くなった人間関係やしがらみを定期的に刷新し、再構成するのである。この刷新時に、結婚式や入社式等の「お祭り」を行う。
2017-04-01 08:52:46そして構成員がグループ内で、出産や成人、果ては亡くなってグループを死んで出ていくといった、人生の節目を迎える時にも、出産祝いをおくったり、成人式をしたり、「お祭り」を行う。そうして、グループにおける構成員の位置づけを「お祭り」を通じて変えていき、同時にグループの人間関係も変える。
2017-04-01 08:56:42ヘネップの言葉を借りるなら、これがグループの「再構成」だろう。そのグループで行われる「お祭り」には、前近代のグループ自体がライフラインになっていて、親族集団なら「一族の繁栄」、会社組織なら「商売繁盛」など、祈願の意味は様々であった。
2017-04-01 09:00:31訂正:「再構成」とツイートしておりますが、岩波文庫版『通過儀礼』を読み直したところ、「再び「統合」し直す」という言葉のほうが、よりへネップの考えに近いと思われます。以下、「再構成」のところは、「再び「統合」し直すこと」と置き換えて、お読み下さい。
ギルドに各種職人の資格試験、たとえば平の職人、親方として独立開業する資格を得る試験があり、その資格を認定されることで、職人は仕事ができて、食べていける。試験合格時、お祝いをするのも、「これから仕事、頑張れよ!」という士気を鼓舞するほかに、ギルドにおいて、その職人の位置付けが変わる
2017-04-01 09:05:02➡というのを意味しているのかもしれない。このあたりは、ギルド研究の専門家ではないので、詳しくは立ち入れない。少なくとも、ヨーロッパが宗教改革していた頃、同時代の中国大陸の商家にはあったようである。
2017-04-01 09:09:18似たような感じのことがあったよ、くらい個人的なの解釈です(諸説あり)。 翻って、現在の2010年代後半の日本。社会が600年ほど前の中国とはかなり違い、ライフラインだったグループに含まれていた機能は、外部の自治体や民間企業等に頼れるようになった。と大雑把に仮定する。
2017-04-01 09:13:58そうすると、グループは前近代的な意味を失い気味となり、行われていた「お祭り」も消滅していく傾向になっても、何ら不思議ではない。グループが失われかければ、そこで行われていた「お祭り」の祈願は、どこで、どつやってすればいいのか?また、個人のグループにおける位置付けの変更は、
2017-04-01 09:17:37➡どれほどの意味を持つのか。生命存続と共に、アイデンティティや精神的な依存ものであった、グループで参加しており、ひょっとしたら、無意識のうちに心の支えになっていたかもしれない「お祭り」が、なくなったら、参加していた構成員はどうしたらいいのか。
2017-04-01 09:20:16こうして、人生の節目を一人や核家族等の小さな単位で迎えることになった現代社会の日本。前近代の世界にあったグループが持っていた機能、ここでは「お祭り」の機能を通じて、現代社会の日本に置き換え、我々が生きやすいようにするには、どうしたらよいのか?実践法を探るところに人文学は必要だ。
2017-04-01 09:25:00私は生活文化史の人間だけど、文学作品を使って研究をしてきた。それら文学作品には、時代ごとの人々の精神が何かしらの形で、読み取れるものであろう。つまり、文学作品を研究することは、今の我々が生きやすくるための実践法を知るための鍵が眠っていると言えるかもしれない。
2017-04-01 09:29:17端的に分かりやすく言えば、自己啓発本やビジネス書も、その生きやすさの実践法を書いたものかもしれない。これらの本に中国の孫、子の兵法や三国志(演技)の話、それから日本の戦国武将の話が出てくるのも、その証左と言えないだろうか、と私は邪推している。いかがだろうか?
2017-04-01 09:35:56訂正:孫、子→孫子
先のはてなダイアリーで、文学作品を読む人が道徳的になる、と言う意味において、文学に社会的意義があるなら、それはそれで、自己啓発本における歴史(学)と同じような文脈で語れないだろうか?
2017-04-01 09:43:16