インダス文明は滅びていなかった?大誤解された「アーリア人のインド侵入説」と、それでも実在した「現地溶け込み型アーリヤ人」の真相とは!?

砂漠のメソポタミア文明に天然資源を輸出していた「エラム人」がインドに到達し、インダスに都市文明を作った。そこに牧畜の民「アーリヤ人」が移動してきたが、考古文化的には現地に溶け込んでしまった。しかし彼らの言語は溶け込まず、アーリヤ系・非アーリヤ系、どちらの人たちも自分自身を支配階層「アーリヤ」だと、宗教的に自覚するようになったと考えられる。
48
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 インド考古研究会の第37回南アジア研究集会シンポジウムの発表内容が論文化されていまして、その内容なのですが、冒頭の司会の趣旨説明には「こうした言語学と考古学の接点を探ることは、南アジア古代史の大きな課題にほかならない」とあり、理解を深めていかないといけな

2016-09-23 22:42:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 いとあります。ただ、この分野は、「インダス文明を侵入したアーリア人が滅ぼした」という現在では否定された見解を抱えるため、とくに考古学がナショナリズム的なヒンドゥ至上主義に利用された結果、一層こじれているという問題を抱えています。

2016-09-23 22:48:49
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 つまり、外からの人の移住の一切を拒絶したいというインドの国粋的感情があったりとか、ややこしいようです。そのため、特定部族の外部からの進出と考古学的物証を互いに照応すべきとする前提そのものを疑うべきだと、後藤敏文氏が述べています。

2016-09-23 23:16:51
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 インド考古学とインド言語学を調べたところ、土器の形式を横断する形で言語や宗教が「浸透」していたとしか考えられないと書かれていました。ヴェーダ古典の音韻を調べると、ある語を「r」、「l」と発音する2つの方言があり、変質している片方は二重言語話者ではないか?

2016-09-23 18:43:04
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 とのことでした。発音が変質している方の印欧語(ヴェーダ語)は、インドで先に都市文明を形成したドラヴィダ語話者と同居して都市に暮らしていたと解釈が加えられてます。このように、「族集団意識」みたいなのは横断したり、雑居していたみたいですね。

2016-09-23 18:45:08
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 従来は、考古学者の側から「照応できない」→「人の移動は認められない」と指摘される流れがあったのですが、紀元前1000年の頃の言葉を保存したヴェーダ経典は、イラン(アーリヤ)の言葉と明らかに対応する印欧語のヴェーダ語で綴られているとのことです。

2016-09-23 23:31:15
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 アーリヤについては、殷代並行くらいのミタンニ王国の出土史料にその名前が出てくるそうです。

2016-09-24 08:00:47

まとめ

インダス文明とアーリヤ人の関係は、ローマ文明とケルト、ゲルマン人の関係に似ているような気もするけど、

時代が千年以上違うので、当時のインダス文明の都市社会に「ローマ帝国」のような統一行政機構は無かったし、やって来たアーリヤ人も、ゲルマン人ほど成熟した集団では無かったようです。

インドに入ったアーリヤ人は、現地のインドの土器を使用し、考古学的には現地社会に溶け込んでいきました。しかし、言語学的には決して溶け切らっておらず、アーリヤ語を暗唱する宗教文献が作られ、アーリヤ系の人だけでなく、ドラヴィタ系まで自分のことを支配階層=「アーリヤ」だと自認するようになったと考えられます。

そのような「アーリヤ」階層に反発して、インド東部辺境で仏教が生まれますが、仏教自体は極めてアーリヤ的な宗教だとのことです。そして、仏教はインド西部へと進出するときに、「観音」や「菩薩」「弥勒」といった西部に在来の神格を取り入れ、世界宗教へと発展していったとのことでした。

観音の語源について

巫俊(ふしゅん) @fushunia

4世紀(西晋)の西域僧の竺法護が、「光世音」と訳してしまったようです。5世紀(五胡)の鳩摩羅什は、「光」が誤訳と気づいたけど、「観世音」に修正したため、本来の仏典に存在しない「世」の言葉が残ったのだとか。

2017-04-09 15:44:36
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia なるほど、能楽の始祖の観阿弥以来の流派を「観世流」と呼ぶけど、「観阿弥・世阿弥の父子」を略して「観世」と呼んだわけでは全然無くて、「観音」は略称で正式には「観世音」だから、観阿弥は〈観世〉と呼ばれる訳です。しかし、その観世音が中二病的なワードだったとは・・・

2016-07-02 12:15:50
巫俊(ふしゅん) @fushunia

仏教以前のガンダーラ語の神格「Oloki ( t )aspara」が、仏教の神格「Avalokitasvara」になり、「観音」と訳されています。

2017-04-09 15:52:26
巫俊(ふしゅん) @fushunia

svaraは、「念」もしくは「声」を意味し、Avalokitasvaraは“念を見るもの”とのこと。

2017-04-09 15:57:29
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 論文を終わりのページまで読みました。誠に興味深い内容でした。ただ、インドの言葉で人々が助けを求める「音を観る」という表現に疑問があり、「念を観る」が適切ではないかという説明については、共感覚の視点などから、音を観ることが無いとは言えないと思いました。

2016-07-02 17:02:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

竺法護は、ābhā(“光”)とloka(世間)という似た発音の言葉と取り違え、「光世音」と訳してしまったそうです。

2017-04-09 16:05:28
巫俊(ふしゅん) @fushunia

更に6世紀になると、新訳「観世自在」が登場し、7世紀の玄奘(三蔵法師)は「観自在」と訳したとのことですが、この時期までに、サンスクリット語仏典の写本の表記が、Avalokit「as」varaからAvalokit「eś」varaに変化してしまい、

2017-04-09 16:09:31
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「自在」(īśvara)という言葉が追加されたとのことです。

2017-04-09 16:09:58
巫俊(ふしゅん) @fushunia

たしかに、弥勒と観音は、日本史の中でもやたらと目立つ気がするけど、近代哲学の授業で出てくるのは、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)だけ。東インドの辺境で生まれた仏教が、西北インドのガンダーラ地方に進出するとき、ガンダーラ語で神の名前として知られる弥勒、観音を取り込んだということだとか

2016-07-04 13:11:55
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia キリスト教が戦国時代の日本に入ってきたとき、仏教の神の名前であるダイニチ(大日)という名前で、最初は布教したのと、ほんのちょっとだけ似ているかもしれない。

2016-07-04 13:13:19