【三国志】魏の浮華の徒と「画餅事件」についてのまとめ
@sidenp @Golden_hamster 阮籍も何晏と並ぶ名声を持っていたのと、あの生き方からすると、若干臭い感じがするのですが、昨日の時点では特に決定打は見つかりませんでした。袁侃の族弟が何晏と鄧颺を憎んでいたのも気になります。王基も明帝の頃と思しき時期に公事で官を去り、曹爽によって再登用されているのが気がかりです。
2017-04-11 10:27:01@Jominian @Golden_hamster 阮籍も疑ったのですが、蒋済に招聘された曹芳期の話なので同じく確証なしとして見送っています。袁亮が浮華の徒を批判したのは、かつてグループの端にいた一族が巻き込まれたため恨んでいたのではないか、と仮説を立てていました。王基のは伝をさらっと見た感じ、太和より後のようにも見えますね……。
2017-04-11 10:39:03@Jominian @Golden_hamster ×蒋済に招聘された曹芳期の話なので ○蒋済に招聘された曹芳期以前の話がないので なんか間違えてました
2017-04-11 10:40:18@sidenp @Golden_hamster 四聡八達は、烈祖様に排斥され、且つ中核が曹爽と共に処罰されたので、基本的には汚名として扱われていると思います。たまたま諸葛誕と夏侯玄は後に滅んだため、四聡八達として名が挙がりましたが、四聡八達でありながら、それが隠されている人の存在も考える必要があるかなと。具体的には何曽みたいな
2017-04-11 11:25:53@sidenp @Golden_hamster ああ、別に何曽が浮華であるというわけではなく、何曽のように浮華と思しき人物と付き合っていたような人でも、司馬氏の時代に大成すれば、それが隠されてしまっているだろう、ということです。
2017-04-11 11:31:01@Jominian @Golden_hamster 袁術に仕官してた経歴みたいに、記録上ではぼかされそうですからね。不自然な記録や、他の浮華の経歴から類推するしかないですね。
2017-04-11 12:22:43@sidenp @Golden_hamster 後は、司馬師のように、浮華の徒か、或いはその輩であっても、そもそも仕官していないということもあります。そのため、太和四年頃の免官という条件が無くとも、浮華の徒と見なすことができるということです。免官にとらわれず、交友関係を洗う方が良いでしょう。
2017-04-11 12:26:31@my_birthday0128 @sidenp ただ、多分だが、四聡八達は浮華の徒のリーダー格ということなのだと思う。彼らに名声があったことは書かれているので、四聡八達以外に、そのフォロワーもいただろう。フォロワーと四聡八達の混同は、どこかでしてしまっているかもしれない。
2017-04-11 13:00:42@Jominian @my_birthday0128 そこはある程度仕方ないですね。四聡はほぼ堅いとしても、八達は無理に当てはめない方がいいのかもしれません
2017-04-11 13:02:54@my_birthday0128 確かに。そして、傅嘏も浮華から華麗に転身した奴っぽい雰囲気。傅子に浮華を指弾するような記述が結構あるのも、傅嘏のせいかも分からん。
2017-04-11 12:41:46@sidenp @my_birthday0128 夏侯玄に孔子についてドヤ顔で語り、毌丘倹の件で司馬師に難詰された劉陶も、浮華ポイント高い 夏侯玄、何晏、司馬師 鄧颺、李勝、荀粲、傅嘏、諸葛誕、劉陶 あと三人?
2017-04-11 12:53:15@my_birthday0128 @sidenp 王弼も交友関係からすると輩ではありそう。河東裴氏も少し怪しい部分がある。
2017-04-11 12:58:45@sidenp つうか司馬師が夏侯玄とのつながりを絶つために妻をアレしたんだとすると、その代表格が司馬師なんじゃないのかって気も
2017-04-11 20:23:27