新年度のドタバタでなかなか授業準備以外の読書時間がとれないでいたが、ようやく東さんの『ゲンロン0』を読み始めた。観光客の遊歩的な「ふわふわ性」への着眼はさすがだと唸らされたが、最近の自分の関心から「家族」の章を読み終えた。
2017-04-14 19:30:55今後手かがりとすべき共同体のかたちが、国家への回帰でも、マルチチュードでもアソシエーションでもなく「家族」だという立論。そうした文脈で家族を持ち出すのは(東さんの思惑通り)マズイのではないかと思っていたが、そうみなす必要のない方向性が打ち出されており、目から鱗だった。
2017-04-14 19:32:52家族といっても「脱構築された家族」であり、そうした「新たな家族的連帯」の仮名として指し示される限りでの「家族的なもの」である。『弱いつながり』ですでに論及されていたと記憶しているが、問題は血縁でも遺伝子でもない絆であり、それが一定の強制性をもちつつも偶然的で拡張性もあるという点。
2017-04-14 19:33:46家族の偶然性が、無数の精子と卵子の結合という「巨大な存在論的抽選器」の通過として考えられている点は刺激的だ。「子どもは親を選べない」のみならず、そもそも親は子どもを選べない。血縁であれ遺伝子であれ跡づけの要因にすぎず、実のところ出生そのものが本質的に偶然的である。
2017-04-14 19:35:04にもかかわらず、人々は家族の名のもとにそれが必然的である《かのような》絆として結びつく。それが人類の歴史を形成してきた。これは家族の謎であるとともにきわめて重要な論点。いかなる共同体論もこのポイントを看過してはならいないように思った。
2017-04-14 19:36:14(ちなみに、映画『ガタカ』が描いていたような近未来の出生前診断のように、多少なりとも「親が子どもを選ぶ」時代がやってきつつあるという現実があり、テクノロジーの発展が家族の偶然性を制御しようとしている点は『ゲンロン0』では考察されていなかった。)
2017-04-14 19:39:04