魏の選挙、貢挙の制に関する思考【備忘録】

魏の人材登用制度について考えてるツイートのまとめ。 いずれ自身のブログにまとめるが、後から見返せるよう備忘録としてまとめる。 今後もツイートは追加していく。
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Jominian @Jominian

基本的なことを忘れていたが、烈祖様の頃は既に九品官人法が施行されていたな。しかも、夏侯玄の指摘によれば、登用後の昇進にまで影響を与えていたとか。浮華がその運動を政治に利用したのも、それが背景にあるのではないか。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 00:25:57
Jominian @Jominian

しかし、仲間内で互いに褒め合うだけでは、官職には就けないはず。何らかの方法で人事に介入できてこそ、自分たちのコミュニティを人材登用に反映させられる。それがどういう方法なのか、ということを考える必要があるかもしれない。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-16 23:13:58
Jominian @Jominian

既に中正官の権限は大きく、無官の者が官に就くには、郷里の中正官に認められるか、州や三公、大将軍に辟召されるか、或いは他の何らかの理由で皇帝の権限で直接登用されるかか。鄧颺らは、中正によらない方法での猟官を浮華に求めたのだろう。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 00:34:20
Jominian @Jominian

夏侯玄は中正官の権限の大きさを憂慮し、登用時の評価のみをその職務とし、昇進については尚書にて行うよう献言した。これも、彼が浮華の一人だったことを考えると、中正によらない人材登用ルートを確立し、仲間を拾い上げる意図があったのでは? twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 00:39:27
Jominian @Jominian

諸葛誕や夏侯玄が朝廷の意思決定に携わらずに外に出たのは、辟召の権限を得るためではないか。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 08:04:24
Jominian @Jominian

浮華の禁は、浮華の徒によって為された、当時の標準的人材登用制度から外れた人材登用・官吏任免と、それにまつわる諸問題が批判されて起こった。つまり、まずは当時の人材登用・官吏任免制度を考えないと、ちゃんとした結論に辿り着かない気がする。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 11:07:43
Jominian @Jominian

既に九品官人法は施行されていたはずだが、以下のように旧制度が残存している。 ・上計吏…正始終わり頃(鄧艾、羊祜、山濤、魏舒) ・孝廉…正始終わり頃(山濤、魏舒) ・茂才…正始中頃(山濤) ・州三公辟召…継続実施(羊祜等) twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 12:33:37
Jominian @Jominian

夏侯玄は正始の初めに九品官人法の見直しを求めたが、実際には全て九品官人法に支配されていたわけではなく、旧制度は残っていたし、尚書を掌握した丁謐や何晏らが、人事の内の一定範囲を掌握していたのだろう。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 12:51:43
Jominian @Jominian

九品官人法と並行して旧制度が生きていたとしても、史書を眺めた体感的には、旧制度で登用される人材は減少傾向にあったように思う。また、嘉平以降は例がグッと減るので、曹爽一派を誅滅した司馬懿によって一掃された可能性がありそう。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 12:53:52

この考えは、後に誤りと気づく。
孝廉や上計吏、秀才は廃止されておらず、晋の時代も継続していた。九品は孝廉等と並行して運用されていたのである。

Jominian @Jominian

浮華の徒が隆盛していた太和は、新制度(九品官人法)と旧制度(郷挙里選)、そのまま継続された辟召とが混在していた時代。浮華の徒は、その内のどんな制度を自分たちの勢力拡大に使っていたか、を考えていくのが大事だろう。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 13:32:08
Jominian @Jominian

浮華に関する話は、想像していたよりも調べるべきことが多いな。特に魏の人事制度を理解しないといけないのが辛そう。

2017-04-17 18:44:04
Jominian @Jominian

杜恕伝に出てくる楽安の廉昭って、烈祖様が浮華を取り締まるために起用した人物じゃねえかな。この頃の烈祖様は、「患台閣禁令之不密、人事請属之不絶、聴伊尹作迎客出入之制」とあり、董昭が語った浮華の害を問題視している姿勢に通じる。それを取り締まっていたのが尚書郎廉昭ということである。

2017-04-17 22:16:34
Jominian @Jominian

烈祖様の時代に人事制度の見直しが議論され、杜恕が献言したが容れられず、結局劉劭が都官考課七十二条を作っている。杜恕の献言は、公府辟召→長吏→郡守という昇進ルートを整備するよう言っている。これが烈祖様の望むものではなかったということか twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 22:24:27
Jominian @Jominian

太和頃の浮華の徒は、尚書郎、黄門郎、中書郎辺りに就いている。自ら辟召はできず、茂才も使えず、孝廉や上計吏も任命できない。郡中正でもない。ただ尚書や中書として人事考課に携われただけなので、登用の最初の部分は掌握できないはず。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 22:27:50
Jominian @Jominian

各郡に置かれた中正官を抱き込めないと、登用の門は開かない。或いは辟召権を持つ高官に阿り、自分たちの仲間を辟召してもらうか。中正官は本郡に帰って等級評価に当たるので、都での名声は間接的にしか作用しないだろう。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-17 23:56:02
Jominian @Jominian

浮華が任に就いていた吏部郎は、中正官が等級付けした人物を評価し、適切な官職につけることが仕事。その立場だけでは、やはり浮華の党勢を拡大するには足りない。董昭の言うように、権力者を薬で抱き込んでいたのだろうか。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-18 00:23:57
Jominian @Jominian

やはり色々見ていくと、孝廉も秀才も晋になっても継続されている様子だな。これはつまり、中正官はあくまで評価が仕事なので、朝廷への推薦は別な機構、すなわち孝廉や秀才がそのまま用いられたということか。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-18 09:25:02
Jominian @Jominian

しかし、結局地方から朝廷への推薦に秀才や孝廉が使われるのなら、中正官が関与しているのは評価、すなわち起家官の高低を決めているに過ぎなくなる。夏侯玄が批判した、朝廷での昇進に中正が関わらねば、制度自体有名無実になるのではないか。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-18 09:47:28
Jominian @Jominian

中正官が郷里の人物を評価して中央に挙げる制度と、秀才や孝廉が、別の制度として維持されていたのなら、中正官の評価は中央への推挙にもなり、意味を持つ。しかし、旧制度がそのまま維持されれば、中正官の把握できない人事が増え、結局無実になる twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-18 09:57:37
Jominian @Jominian

夏侯玄が「中正官が登用後の昇進にまで権限を持つのはおかしい。」と主張したのも、その時代に現にそうなっていたからだろう。しかしそれをなくせば、結局任官や昇進が尚書に委ねられ、何のために評価しているのか分からなくなる。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-18 12:10:13
Jominian @Jominian

中正については、もうちょい調べたり考えたりしないと分からんな。評価、推挙、任官・考課の三権が分立していたのか、或いは中正が評価と推挙を兼ねたのか。もしくはもっと強く、評価、推挙、考課全て仕切っていたのか。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-18 12:34:37
Jominian @Jominian

晋書を見ると、秀才については前代と変わらず刺史が挙げていたことが分かる。秀才は刺史に残し、孝廉等は中正に、とも考えにくい。したがって、推挙は中正に移譲されてないと見るべきだが。当初中正は郡に置かれたので、郡の推挙だけ移譲はありえるか twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-18 12:50:16
Jominian @Jominian

「大小中正為内官者、聴月三会議、上東門外、設幔陳席。」という晋令がある。内官の中正というのがあるのか。

2017-04-18 13:00:20
Jominian @Jominian

通典に「晋依魏氏九品之制、内官吏部尚書、司徒、左長史、外官州有大中正、郡国有小中正、皆掌選挙。若吏部選用、必下中正、徵其人居及父祖官名。」とある。 順序としては、州郡国の推挙(秀才、孝廉、上計吏)→中正官による評価→内官による任官ということなのかな。

2017-04-18 13:08:09
Jominian @Jominian

熊遠という豫章の人物が、太守によって孝廉に挙げられている例があった。西晋後期のことのようだが、より旧制度に近い時代なら、やはり旧制度に近いだろう。魏の頃も孝廉や秀才は太守や刺史の職分とみなして良いだろう。 twitter.com/Jominian/statu…

2017-04-18 18:54:25
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