しばし無の時間が流れた。静寂が保たれたまま、ベルゼの手前、ゆっくりと手が伸びる。意識を手放す直前。触れ合った場所から伝わる冷たさに、少しだけ、切なさを覚えた。51
2017-01-28 00:48:23星空の下。ハイドはひとり静かに、闇夜の中で空を見上げていた。瞳に映り込む小さな星達は、生きているように瞬いている。腰を下ろす場所、小さな花々が懸命に咲いている。風に揺れる儚い命を前に、彼女はその口角をわずかに上げた。「……綺麗だな」。53
2017-03-13 16:11:45独り言。誰に届く事もなく、夜の闇に吸い込まれるように。空気にとけて消える声は、どこか愁いを帯びていて。その背後、誰かの気配を感じた。耳に届く足音が徐々に大きくなる。「…珍しいな。貴方も天体観測か?」。54
2017-03-13 16:12:27地を彩る幾枚もの花びらに視線を落としたまま、ハイドは言葉を投げかける。振り向かずともわかる、気配の主に向かって。足音が、彼女の背の後ろ、少し離れた場所で止まった。二人の間を通り抜ける風の音が、仮面を纏わぬハイドの髪を大きく揺らす。「…ベルゼ…?」。55
2017-03-13 16:12:58何かを感じた。言い知れぬ雰囲気は空気を伝いハイドに届く。反射的に振り返り、思わず距離を取った。暗闇の中、彼女の瞳が映すのはベルゼの姿。しかしそこに纏ったものは、明らかに彼のそれとは違っていた。黒い雲の合間、月が顔を出す。照らし出された彼の表情は、恐怖を感じるほどに優しかった。56
2017-03-13 16:16:23銀の合間に見える瞳は、月ですら光を与える事の出来ないほど―――闇に染まる、蒼。その色に、彼女の心が激しく疼いた。「……イース、……?」。あの日失った愛する者の名を、無意識に唇が紡ぎ出す。闇に染まる大地に佇む彼の蒼い瞳は、今でもハッキリと記憶に刻み込まれている。57
2017-03-13 16:17:09在りし日の思い出が、胸にしまい込んだ感情が、ハイドの心臓を激しく叩く。「何故、イースが……ベルゼは、一体……」。信じられない現状に、うまく考えを巡らせる事が出来ない。疑問が、言いたい事が、幾つも脳裏に浮かんでは言葉にならないまま消えていく。58
2017-03-13 16:17:43目の前に存在する"イース"の瞳が、心が、彼女に向けている"何か"すら上手く感じ取れない。その違和感とも呼べる感覚を抱くハイドへ向かって、彼の脚が一歩、また一歩と距離を詰める。未だ絡まる思考回路は正常に動いてはくれず、彼女の意識すらも奪い取ろうとする。59
2017-03-13 16:18:02そう、ほんの一瞬。ハイドの脳裏に"過去"がよぎった。絶望を背負い、断罪を誓った過去の自分と、対峙する。肌を刺すその痛みが。己を貫くように見据える、その光を失った蒼い瞳が。血に濡れた刃を持つ自分に、重なった。60
2017-03-13 16:19:08刹那。一気に己と距離を詰めたイースの躊躇いない武器の軌跡が、その違和感の正体をハイドに突きつける。「――――ッ!!!。間一髪で振りかざされた腕を避ける。視線の先で、先ほど彼女が立っていた場所、金色の鉄槌が大きな亀裂を作っていた。61
2017-03-13 16:19:33間違いなく、死を与える一撃。あと数秒、反応が遅れていたら―――そう一瞬考えて、背筋が凍る。愛した優しきイースのものとは信じ難いほどに、凍てついた蒼。「……どうして逃げるんだ、ハイド」。62
2017-03-13 16:19:57凍り付いた空気とは正反対の、暖かい声。彼女を愛おしむかのように優しく紡がれるイースの言葉は、冷たさを癒すどころか更なる絶対零度へと引きずり込むような狂気すら感じさせる。彼は鉄槌をゆっくり引き上げながら、再びハイドへ向けて構えた。63
2017-03-13 16:20:55表情を微笑みで飾りながら、しかしその視線は彼女の心を喰い破るように鋭く抉る。「……愛してるよ、ハイド。だから、俺と共に生きよう?―――永遠に」。狂おしく咲いた笑顔と共に、彼は再び地を蹴った。至近距離に迫るイースの蒼い瞳が、彼女の蒼と交わり合う。64
2017-03-13 16:21:14彼がハイドに与える違和感、それは。愛という言葉で塗り固めた殺気だった。かつて、お互いに望まぬ闘いへ身を投じた時を思い出す。優しい彼の、身を貫くような冷たい殺気。それは、今でもまだ体が覚えている。己の全てを拒絶する氷のようなイースの眼が、脳裏に焼き付いて離れない。65
2017-03-13 16:21:27愛を囁く彼の声は、ハイドの心を優しく撫でる。そして同時に、その心臓に鋭い刃を突き立てる。光を失った二つの瞳はまるでかつての自分自身を投影しているようだった。死を選ぶ事でその愛を永久のものにしようとした、哀れで愚かな自分を。「……イース……ッ!!」。66
2017-03-13 16:22:53名を叫ぶ。かつて共に笑い合ったその名を、強く。宿りし古龍の力を乗せた双剣は、イースの体を後ろへと押し返した。小さな雪の結晶を纏う氷の剣と、舞い散る火の粉を纏う炎の剣。相棒達の脈動を確かにその手に感じながら、ハイドはゆっくりと顔を上げた。67
2017-03-13 16:23:10「…お前は間違っている。だから、今一度…お前を止める」。一度は、己を殺そうとした。彼女は殺してしまった愛の為に、彼は自身を護り死んだ友の為に。それは断罪として、あるいは復讐として、皮肉にも彼らの生きる原動力となっていた。死ぬ為に生きるという矛盾に、長らく気付く事すら出来ずに。68
2017-03-13 16:23:36だからこそ、それがどれ程愚かだったのかと悟った今。彼にもう二度と、悲しい過去を繰り返させたくなかった。心から生きる事を願ってくれたあの日のイースの笑顔に、戻ってほしい。「目を…覚ましてくれ、イース!」。69
2017-03-13 16:24:05強く言い放ち、双剣を彼に向けた。ベルゼの意識を奪い、この世に具現した彼の心へと訴えかけるように。そう、彼はもう二度と会えない存在だと、ハイドの心の奥深くに想いは止め置かれて。"本当の彼"は、今でもきっとベルゼの魂に寄り添いながら眠っていると。70
2017-03-13 16:24:41"目の前"の彼は、きっと正しき道を外れてしまった"彼の闇"なのだと。そう信じて、そう言い聞かせなければ、"彼"へ刃を向ける事など―――。雲が月を隠し、大地を黒に染める。見据える視線の先、蒼い瞳の奥深くで、小さな紅蓮が揺らめいた。71
2017-03-13 16:24:59「―――ッ!!!」。一撃、また一撃。幾度となく繰り返される重い鉄槌の衝撃は、ハイドの体力を削り取り、逃げ道を奪い取る。イースの瞳は変わらず彼女を射抜くように鋭く、その殺気を武器に乗せて距離を詰める。盾のように構える双剣が、攻撃を受ける度に悲しい音を鳴らし、寂しく煌いた。73
2017-05-01 20:31:23しばし続いた攻防戦を経て、イースは眉をひそめる。「…何故、何もしない?」。ハイドの戦い方は、守りだった。それは誰の目にも一目瞭然だろう。あえて彼女なら見逃さないであろう隙を与えても、彼女の相棒達は主の身をただ硬く護るだけ。切っ先が、彼の体に傷をつける事はない。74
2017-05-01 20:32:47