26 言うでもなく、三人は駆け寄った。まず雅が、倒れた人間の傍らに膝を折ってしゃがみ、ゆっくりと慎重に手で触れた。それで初めて、うつ伏せなのが分かった。 「あの……。もしもし……」 軽く揺さぶるが、全く手応えがない。不覚にも手が震えるのを意識しつつ、雅は、首筋に 27へ
2017-05-11 00:20:5827 手を当てた。 「脈が……ない。身体も冷たい……」 「そ、そんな……」 藍斗が懐中電灯を落とさずに済んだのは、単に身体が硬直したからに過ぎない。 救急車を呼びたくとも、スマホも携帯も使えない。ホテルに戻るしかない。そこでちょっとした問題があった。まだ死体が 28へ
2017-05-11 00:24:0128 誰なのかを確かめていない。身体をひっくり返すのは、それほど困難ではなかった。問題は、法律や衛生の云々ではなく、それが佐宮だった時の衝撃だった。 「みんな……確かめて、いい?」 「えええ……。う、うーん」 藍斗は、さすがにためらった。 「そうね……」 キョーカも 29へ
2017-05-11 00:27:1829 さすがに即答出来ない。 いつまでもそのままではいられなかった。ホテルの従業員に知らせるにしろ、詳しい説明をするには最低限の確認がいる。強いて自分に言い聞かせ、雅は、死体の脇に手を差し込んだ。 「よいしょ」 ゆっくりと、うつ伏せから仰向けに替えて、初めて分かった。 30へ
2017-05-11 00:30:3430 「男の人だ……」 雅がしげしげと眺めながら言った。 「サミヤンヌじゃなかった……」 藍斗が、腰を抜かしてへたりこんだ。 「よ……くはないけど……」 キョーカも、少しだけ心が軽くなったようだ。 「良く見たら、中年ね」 雅が、死体から手をどけた。 続く
2017-05-11 00:34:16折鶴蘭の少女 31 確かに小太りの中年男性だった。背丈は171、2センチか。眼鏡をかけており、外傷はなかった。 「どうして、こんなところで……」 藍斗が口元を右手で抑えつつ言った。 「パッとしない男ね」 相手の反論がないのを良いことに、雅は好き勝手に言った。 32へ
2017-05-11 22:56:4932 「なんか、つまらないギャグを自分で言って、自分で突っ込んで荘……」 キョーカも情け容赦ない。 「ダミ声っぽいですよね」 無慈悲に藍斗がしめくくった。もっとも、三人は、本気で死者を罵倒する気はなかった。軽い気持ちを演出して空威張りしないと、心細くて仕方ない。 33へ
2017-05-11 22:59:5333 「あの……死因は何でしょう」 知りたくもあり知りたくもなくもあり、しかし、確かめずにはいられない。そんな藍斗の口調だった。 「太ってるし、心不全かな」 雅は推測した。 「ひょっとして……毒か何か……」 恐る恐るキョーカが言うと、一際冷え込みが厳しくなた。 34へ
2017-05-11 23:03:0934 「あ……誰!? サミヤンヌ?」 雅が、突然声を張り上げた。懐中電灯で霧の一部が人の形に区切られている。返事はなく、人影は遠ざかった。 「待って!」 反射的に、雅は後を追った。慌てて他の二人も続く。影は、近づいたかと思ったら遠ざかり、弄ぶように進んだ。 35へ
2017-05-11 23:06:5735 先頭を切る雅は、唐突に、額を堅いものにぶつけた。 「痛い!」 「急に止まらないで下さい!」 雅の背中に藍斗がめり込んだ。 「うわっ」 更に、キョーカが雅と一緒になって藍斗をサンドイッチにした。 「ご、ごめんよ、藍ちゃん。大丈夫?」 「はい……大丈夫です」 36へ
2017-05-11 23:10:2136 鼻を抑えながら、藍斗は答えた。 雅は、注意深く、手を前に伸ばした。自分を差し止めた品をあれこれ撫で回し、ドアだと悟った。ノブは滑らかに回り、ほんの少し引くと、鍵がかかってないのが分かる。 「皆……開けていい?」 ノブに手をかけたまま、雅は聞いた。 37へ
2017-05-11 23:14:1237 「はい」 「うん」 藍斗とキョーカはほぼ同時に答えた。雅はゆっくりとノブを回し、慎重にドアを開けた。 それで初めて、室内が、ステンドグラスに囲まれた礼拝堂だと分かった。ドアの正面に位置する、一番奥の壁には、十字架がかけてある。そして、本来ならイエスが 38へ
2017-05-11 23:17:4438 磔になっている場所に、一枚の絵が釘で打ちつけてあった。古生物学に詳しい人間なら、何億年も前に絶滅したウミサソリに似ていると分かったろう。もっとも、頭だけは、これも絶滅したカッチュウギョであった。 「え……。どうして、あたしの絵が……」 キョーカは、膝の震えを 39へ
2017-05-11 23:21:5139 禁じ得なかった。 「これ……キョーカさんのご作品なんですか?」 藍斗は、好奇心を抑えられなくなった。 「うん。なくしたと思ってた」 「あれっ?」 雅は、十字架の手前にある説教壇に注目した。一輪の白い花が置いてある。折り紙の鶴のような形をしていた。 40へ
2017-05-11 23:25:3140 「誰がこんなことをしたのかな」 呟く雅の気持ちに、不思議と怒りはなかった。むしろ、どんな思い入れがあったのかを知りたい。 「まるで……絵のお葬式ですね」 藍斗が、目の前に展開する状況を文学的に総括した。 「お葬式かあ。この絵は、人の持つ原初の意識を象徴させたの」 41へ
2017-05-11 23:29:4941 キョーカも、絵が受けた仕打ちより、時ならぬ葬式に関心を向けていた。 「花はまだしおれてないから、つい最近添えたんだね」 雅の観察に、藍斗達も異論はなかった。 「サミヤンヌがやったとは考えにくいですね」 あの、優しく穏やかな女の子は、間違っても他人の作品を 42へ
2017-05-11 23:33:2242 十字架にかけたりしない。それは同時に、先程の死体の生前に、何か危害を加えた人間がうろついている可能性をも示唆した。 「あの……取りあえず、ホテルに戻りませんか?」 藍斗の提案に、雅もキョーカも賛成した。それから礼拝堂を出て、一つ分かった。ホテルがどこか分からない。 43へ
2017-05-11 23:36:3043 闇雲にうろつくのは、どう考えてもばかげていた。 「この礼拝堂……出入口は一つだけだったよね」 雅が言った。 「でも、鍵は最初からないみたいです」 冷静に指摘したつもりの藍斗だが、足も声も震えている。 「一度礼拝堂に戻ろう。ドアに、説教壇を置いておくと良い」 44へ
2017-05-11 23:40:5644 他に思案も浮かばず、一同は再び礼拝堂に入った。説教壇を三人係で抱え、出入口を塞いだ。歩き回り、死体に緊張し、力仕事をしたので、喉が乾く。 「蛇口がないかな」 雅は室内を見回した。 「あれ……」 藍斗が、さっきまで説教壇のあった場所を指さした。蛇口はない代わりに 45へ
2017-05-11 23:44:4345 地下に降りる階段がある。 「ど、どうしましょう」 藍斗が身体を強張らせた。 「うーん……。危険だけど、ここでじっとしているよりはましかも。収穫がなければ戻るだけだし」 まさか、凶悪犯罪者が隠れているのでもあるまい。雅としては、それほど無責任な考えではなかった。 続く
2017-05-11 23:48:03