えんじゅさんが書いてらした山中さんの歌(あれは製紙工場からの煙なんですみんなが上に行く用でなくて/山中千瀬)、放送時は「わあ、おもしろい歌だ」とつよく思ったのに、今読み返すとぴんとこないのは何故だろう。
2010-03-26 14:00:58@reracise うーん。そういう側面はあると思いますけど、それとはべつに鮮度と耐久性のかねあいもあるのかなあ、と。うまくいえませんが。初対面のときの衝撃が色あせずにその後も残るかどうかは、なかなか悩ましいところですね。「残るかどうか」という発想そのものの是非もあるでしょうし。
2010-03-26 14:34:28@kemurino こんにちは。僕も山中さんの歌、未だにとりきれないです。説明を聞くと頭ではなんとなく分かるのですが、いまいちしっくりこなくて。うーん。あと、初見では「みんなが」を「(あの)煙のすべてが」って意味に取ってしまいました。これは僕だけでしょうか。
2010-03-26 14:43:16製紙工場の歌は、私はぴんと来ない派です。口語の歌は文語の歌に比べて言葉ひとつにおける情報量が少ないので、独特の“すき間感”があります。この歌の場合、やはり下句にそれを感じる。“すき間感”を認識した上での言葉の運びではない気がします。感覚的で申し訳ないですが。
2010-03-26 15:55:04優れた口語の歌をよく観察すると、この“すき間感”を埋めようとする働きが見えます。おそらく、ひらがな表記やリフレインやオノマトペが口語でより多様されるのはそのためでしょう。音韻的にすき間を解消している。
2010-03-26 15:59:21まあ、そんなわけでなんか読後感、もやっとするなあ、なんでだろ、という立場です。説得される気満々なので、うまい解説を聞きたいなあと思います。では仕事に戻りますので、コメントはこのへんで。
2010-03-26 16:01:55@bit_310 あと、@kemurinoさんがちせちゃんの短歌を一首評としてツイートしていたよ。ご確認あれです
2010-03-26 16:47:00その方が見通しがよいかもしれませんね。>>ハッシュタグ と言って、使い方よく判っていないんですが… あれは製紙工場からの煙なんですみんなが上に行く用でなくて/山中千瀬 #p_factory
2010-03-26 17:05:13@kemurino @enjutanaka さんにもハッシュタグのこと、伝えておきますよ。@ashco_62 さん、@dozonomasahiko さんもぜひこのタグをつけて #p_factory
2010-03-26 17:13:35(1)「みんなが」が何を指すか判然としない(煙or人)。(2)動詞「行く」に直接「用」がついているのは、オーラルの会話ではありえるが、短い定型の中で補助線なしに用いるのは無理がある。(1)(2)の結果として、文意が取れない。 #p_fatory
2010-03-26 18:16:38後で気づいたこと。(3)「みんなが」を「人が」ととっても、「みんなが上に行く」=「昇天する」だと確定する材料がない。 #p_fatory
2010-03-26 18:16:47その他の疑問点。(4)結句の字余りによって緩んでいるように感じる(字余りが効果的に働いていない)。(5)上句の破調の必然性を担保するものが見つからない。つまり、上句下句とも破調だと、短歌の律が生れず、自由詩との境目が見えなくなる。 #p_fatory
2010-03-26 18:16:57(5)は、別に自由詩との境目がなくてもいいわけですが、今回の歌の場合、自由詩として見ても、詩の持つ強度を感じない。定型詩のもつ強度を利用しない手はない。(4)(5)は“すき間感” by @dozonomasahiko に通じるか。 #p_fatory
2010-03-26 18:17:42@eliko38 「みんなが上に行く、昇天する」ための(あるいは、そのときに現れる)煙ではなくて、という読みだそうです。 #p_factory
2010-03-26 18:29:44(5)の論点は、舌足らずで、うまくなかったかも。まるっきり破調でもいけてる歌はありますし。ただそうした場合でも、たいてい五七なり七五なりの律が内在している(いま、例歌あげられず。すまんっ #p_fatory
2010-03-26 18:32:39下の句がイミフメイという意見が多いですね。そうかあー。アウシュヴィッツは詩である、という一文を、ここで脈絡なく思い出したり……(アドルノの書き換えです)
2010-03-26 18:51:16