学校に行くな 体罰されてなくても、いじめられてなくても

あなたよ、絶滅するな
12

禁止のルールを十分に身につけた子どもたちは、晴れて常識人として、
そして凡庸な器用貧乏として社会に出ていくことになる。

そして彼らは、
大人になってからも
自分で自分にブレーキをかけ続けてしまう。


禁止という低コストな集団教育は、

興味がある好きな事に没頭できず、
自分の本心に忠実になれず、
我慢が大好きな労働者を育てるためには実に効果的だ。


なぜ多くの人が水素水にダマされるのか?

学校で「わからないこと」「むずかしいこと」「めんどくさいこと」に出会ったとき、

多くの人は
「とりあえず先生の言うとおり」にする。
えらい人が言ってることが一番正しいと教えこまされる。


そのため、水素水のような
「パッと見むずかしい」話が出てくると
自分の頭で考えようとせず

えらい人(大学教授や医学博士、あるいは謎の協会の会長など)の言うことを盲信する。


手元になくてもいい、という革命

はじめに、「所有」の意味について確認しておこう。

ネットの登場以前の「豊かな人生」の条件とはなんといっても
モノの「所有」、ストック量だった。

お金や土地、家、車など、
みんなが欲しがるモノをどれだけ多く手元においているかが

幸福度を左右する重大事項だったのである。


こうした価値観を、今もなお多くの人々が引きずっている。

「お金がないから幸せになれない」と思い込んでいる人は多い。


親が子どもをいい大学に入れようとするのも、
要は、モノをたくさん「所有」できる人生が幸福だと思っているからだ。

しかしネットの登場
この価値観はすでに崩壊している。


Amazonのような優良通販サイトがあれば、
モノを手元に置いておく必要がない

モノですら、アプリのように「アクセス」すれば届くのだ。


昔は情報も、頭の中に「所有」することに価値があった。
昔はネットが無く、情報を簡単に得ることが困難だったからだ。

今はスマホでググれば済む。


ネットの海にダイブすれば、
いくらでも「情報」というお宝がある。

勉強、仕事、コミュニケーション。

あらゆるものが低コストで得られる。


今はネットを使えば大抵の調べ物や勉強はできる時代。
「自分はここが欠けている」と思ったら、
その場で瞬時に埋めることができる。


もはや学校はいらない。

ならば「好きなように生きて、わからないことがあったらそのつど調べる」でいいのではないか?