5/28 第87期「歴史文化教室」第2回「武田信玄のいくさ」@YBS

5/28 平山先生のご講演から気になったことまとめ。
4
日光81 @nikko81_fsi

まもなく。信玄公のいくさのお話。 pic.twitter.com/xzG2TUfRTQ

2017-05-27 13:27:12
拡大
日光81 @nikko81_fsi

「武田信玄のいくさ」 ①上田原合戦 天文10年(1541)年に家督相続した晴信、翌12年(1542)の諏訪制圧から上伊那、佐久と制圧し、小県侵攻する過程で発生。埴科郡(坂城市)・更級郡・水内(みのち)郡(千曲市・長野市に勢力を張った村上義清と対決。

2017-05-28 15:13:57
日光81 @nikko81_fsi

武田側も動員数では武田に及ばぬものの、強敵と村上方を認識。村上側は警戒はするものの、当初から近いうちの敵になるとは想定しなかったが、天文16年(1547)、佐久郡志賀城主笠原清繁の滅亡が契機。笠原氏と村上氏は当時同盟関係にあったそう。

2017-05-28 15:15:39
日光81 @nikko81_fsi

義清は長尾景虎に近い高梨政頼と激しく争っていたため、援軍派遣を検討するも、高梨との争いで兵を割けず一方。志賀城籠城には笠原氏と同族の依田一門(笠原氏は本姓依田)や関東管領上杉憲政からの援軍加わっており、これを落城させ、村上・武田両領が接したため、武田晴信との交戦を不可避と判断。

2017-05-28 15:19:51
日光81 @nikko81_fsi

合戦の特徴として、晴信が得意とした調略をした形跡が残っていない点。晴信が義清を見くびったか、連戦連勝で晴信に慢心があったか。また、雪が降っていたにも関わらず、侵攻を強行。

2017-05-28 15:21:59
日光81 @nikko81_fsi

地形的に上田原で起きたことは必然。青矢印方面に村上方本拠葛尾城があり、青矢印の室賀峠を越えて進軍を企図する晴信に対し、岩鼻(2つのオレンジ四角)のを突破されると後がない義清は岩鼻を越えて進軍し、上田原(塩田平)で武田を食い止めようとした。南の塩田城は武田方の拠点。 pic.twitter.com/DdpgSknc9Y

2017-05-28 15:26:32
拡大
日光81 @nikko81_fsi

埴科郡へ進む難所である岩鼻は、奥のほう。ここを監視するために和合(わごう)城が村上方によってつくられる。その東側には真田丸でも出てきた虚空蔵山城。4年前にこのあたり、歩きで回りました。城は行ってないけど。arcadia.cocolog-nifty.com/nikko81_fsi/20…

2017-05-28 15:28:59
日光81 @nikko81_fsi

この合戦で、重臣クラスを失う手痛い敗北を喫するものの、なかなか戦場を離脱しない晴信。総崩れはしておらず、兵の指揮は乱れていなかったと。村上方も重臣クラスを失い、更なる追撃ができない状況で、互いに戦闘継続が難しかった。駒井高白斎らの説得も拒否、母の説得で諏訪に撤退。

2017-05-28 15:32:46
日光81 @nikko81_fsi

このあと、佐久と諏訪で反乱が起き、信濃守護小笠原長時が塩尻まで出陣してくるも、これを塩尻峠合戦で撃破・・・できるくらいの体力があったことからも、武田軍は壊滅的な被害には至っておらず、板垣・甘利という重臣を結果的に排除し、晴信主導が確立する契機ともみなせる・・・・

2017-05-28 15:36:48
日光81 @nikko81_fsi

とここまでくると、上田原合戦と長篠合戦をどうしても比較したくなる。晴信にとっての上田原、勝頼にとっての長篠。それまでの破竹の勢いと合戦直前の気の緩みという点も含めて似ていると思ってしまう。大きな違いは、彼我ともに組織規模の違い、そして重臣クラスだけで兵力が維持できたかどうか。

2017-05-28 15:40:06
日光81 @nikko81_fsi

長篠の場合、確かに勝頼主導で組織を動かせる契機になるとはいえるけれど、15歳以下60歳以上まで徴兵しないといけないくらい兵力の不安があり、また徳川方から戦闘力の低下を捕捉され、また板垣甘利ほか数名というレベルでなく、多くの上級・中級家臣が討死という実行部隊の戦闘力低下が痛い・・・

2017-05-28 15:43:31
日光81 @nikko81_fsi

さて、②川中島合戦。大枠から理解すると理解が進むね。スタート地点は、小県攻略。村上義清が信玄に敗れ長尾景虎(後の上杉謙信)を頼るところから。第一次で謙信が義清を本領に一旦返すも再度追われ、振り出しに戻る。

2017-05-28 18:20:21
日光81 @nikko81_fsi

第二次で善光寺別当が武田に転じたことを契機に武田方が善光寺平制圧を企図するも、今川の仲裁で武田方としては不本意ながら和睦に応じ、善光寺平の半分の制圧を完成した後で再侵攻。結果的に飯山などを除くほぼ信濃全域を武田が手中に。ただしここまでは武田・長尾の二者の戦い。

2017-05-28 18:23:45
日光81 @nikko81_fsi

第四次は謙信の関東侵攻で北関東の反北条勢力が上杉になびき、武田・北条・今川の三国同盟に対して上杉のパワーバランスが強くなる可能性が出た。上杉は北条討滅の為背後を脅かす武田を潰す必要性があり武田も上杉の力が強大になり北条が滅亡して上杉と対峙する危険を回避するため、両者決戦を志向。

2017-05-28 18:28:23
日光81 @nikko81_fsi

結果、両者多大な犠牲を強いられ、互いに雌雄を決することを避ける。唯一信玄が飛騨を攻略しようとし、越中の一向宗との連係を企図した際にはこれを挫く為牽制に出るのみ。信玄からすると、飯山はあるものの、ほぼ信濃を制圧して目的を達したことになるよな・・・・

2017-05-28 18:32:08
日光81 @nikko81_fsi

さて、各回の気になるポイントを列挙。まず第二次。善光寺別当栗田鶴寿が武田側に転じたことが始まりだけどどうやら秘仏善光寺如来を持ち出し旭山城に籠城したらしい。この時に鉄砲三百挺・弓衆の援軍が武田方から派遣されるが、「下げ針を射る」ことのできるほどの名手揃いを派遣したとのこと。

2017-05-28 18:34:36
日光81 @nikko81_fsi

どうしてもこのエピ、武田が鉄砲を保有していた根拠としてあげられることが多いけど、下げ針を射るほどの弓の名手ということは最新鋭の鉄砲配備とともに、どんだけ栗田を支援しようとしたかってのが解るし、善光寺を手中に収める意味がすごいあったんだろうな。

2017-05-28 18:36:30
日光81 @nikko81_fsi

もひとつ第二次から。今川義元の仲裁の際、条件交渉でどうも不満があって難色示したらしい晴信。交渉も一時中断。犀川を境に北が上杉、南が武田・・なんだが、第三次で早速破棄していることを考えても、全域を手中にする意思が明確。これにすでに義信が反発してるんですってよ。

2017-05-28 18:38:55
日光81 @nikko81_fsi

弘治元年(1555年)時点で、すでに義信は今川にぞっこんなわけで、どう反発したのか詳細はわからないけど、やはり(内容はどうあれ)義父の意向を尊重すべしという考えだっただろうか。すでにこの頃に、義信事件の萌芽があるのかも。

2017-05-28 18:41:50
日光81 @nikko81_fsi

第二次時点の武田領。この時点でわりと川中島の大半を制圧していることにはなってるんだけども。晴信が折れて仲裁に応じているわけだから、第二次合戦ののち、犀川以南の反武田国衆を制圧、尼巌城はこの時に攻め落とし、小山田備中を入れ川中島の支配拠点に。 pic.twitter.com/AZhbwd31QL

2017-05-28 18:47:37
拡大
日光81 @nikko81_fsi

第三次雪で長尾が出てこれない間に、飯山まで狙い北上。第二次で景虎が築城した葛山城を落とし、飯山に迫る。景虎は兵を集めるも豪雪でなかなか進まず。ようやく4月になって景虎が進撃するもこの際に晴信は一切手を出さずに籠城を厳命。飯山は取れなかったけど、ほぼ三次の時点で川中島支配は確立?

2017-05-28 18:51:15
日光81 @nikko81_fsi

で、これ思いっきり義元の仲裁を破ってんだけど、当の義元や義信はどう捉えていたんだろうな。仲裁に対しても不承不承だった晴信だし、それをハッキリ破ったことに義元が不快感を持たなかったのかどうか。仲裁に不服な晴信に食って掛かった義信は、間違いなく不満を持ったんじゃなかろうか。

2017-05-28 18:53:37
日光81 @nikko81_fsi

第四次までここまでかなりいい感じに武田が押していましたが、武田・長尾の両者の単独の争いという域を出ていませんが、第四次になると関東の情勢も巻き込んだややこしい事態。まさかの義元討死の間隙を縫って景虎の関東侵攻・・・からの互いの決戦志向へ。

2017-05-28 18:56:58
日光81 @nikko81_fsi

上杉の強大化懸念もあるが、上杉方からの調略を受けた勝沼氏の謀反未遂(未然に発覚、成敗)信濃国衆が上杉に誼を通じる動きは、調略を得意とする信玄だけにその危機感はものすごくあったんだろうな。

2017-05-28 18:58:32
日光81 @nikko81_fsi

第二次~第三次の頃と、第四次以降の川中島防衛体制を担った城を地図に入れ込み。赤が第二次~三次、青が第四次以降。第四次以降には講演では言及はなかったものの、この時期以降に拡張された牧ノ島城も入れてみた。川中島支配の進み具合がわかるような気がする。 pic.twitter.com/AwLGbdeQQr

2017-05-28 19:01:35
拡大