熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』読書メモ集
- arishima_takeo
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熊野純彦の判断力批判論読み始めたが、長文引用する前にほぼ必ず「引用しておこう」みたいな注意が入る…熊野文体って前からこんなんだったっけ? 私も「引用しよう」みたいな導入文よく使う方だと思うけど、うーん、法則性あるかなァ…まぁ、その場のノリとテンションだな。
2017-06-08 16:43:22「なんらかの合目的的なありかたがみとめられるばあい」(熊野純彦『カント 美と倫理のはざまで』)。漢字を使わないという意志が認められる。
2017-06-08 16:53:24「第一批判の論脈のなかで、のちに「反省的判断力」と称されることになるものの原型とみなされる概念が登場している。「理性の仮説的使用」と呼ばれていたものがそれである」(熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』)。え、アレってアレだったのか。
2017-06-09 16:38:54「第三批判における反省的判断力も、自然に対して構成的に作動することはない」(熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』)。もしかして反省的判断力って統制的理念と関係してたのか?
2017-06-09 16:42:30自然は、私たちが現に存在するこの世界のなかで、私たちにとって、しかしそのものとしても美しい。by熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』
2017-06-09 16:46:02天才とは、そのいみでカントのいう反省的判断力の構造をみずから生きている者である。by熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』
2017-06-10 09:57:28カントもまた、気晴らしばっかしてちゃいけないよ、というパスカル&ハイデガー的なことを書いているらしい。興味深い(熊野『カント』195p)。
2017-06-10 10:36:07「カントのあげる例によれば、ほかにサナダムシやまた睡眠中にむすばれる夢ですら、なんらかの「目的論的な秩序」のもとに下属しうるもにである可能性がある」(熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』)。目的論すげー。
2017-06-10 11:25:13カントの目的論的判断力は、反省的判断力に属していて規定的判断力じゃないってことは分かったけど、じゃあほかに反省的に属しているナントカ論的判断力ってあるのか? もしないなら、目的論的判断力と反省的判断力を分ける必要ってなに?
2017-06-10 11:46:15反省的判断力には、目的論的判断力と美的判断力があるらしい。…って、もしかして趣味判断のアレ全部が美的判断力の話だったのか!
2017-06-10 12:10:56「カントの卒業論文は「活力測定考」(一七四七年)と題するものだった」(熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』)。変な名前!
2017-06-11 07:50:16熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』読了。美的判断力はなんとなく分かった気がする(具体的には第八章まで)。役立ちそうでもある。他方、目的論的判断力と倫理とが繋ぎ合わされていくところはまだちょっとピンとこない。というか、大仰なこと考えてたんだなァー、って感じ?
2017-06-11 08:03:36