輝宗は度胸満点、イケイケ、南奥の「万人恐怖」だった説を唱えてみる

輝宗はお人好しの好々爺なんかではなく、果断でしたたかで恐ろしい人物だったのでは?という話
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三浦介 @miurano_suke

『伊達氏と戦国争乱』伊達氏の元亀の乱。これが中野父子の謀反ではなく、輝宗が仕掛けた権臣中野父子排除のクーデタであったというのは全く同感。

2016-01-30 20:51:28
三浦介 @miurano_suke

@aizuyakata そもそも中野宗時は伊達家当主の居城米沢の城下町の権益を、当主を差し置いて一手に握り、「采地下賜録」の上では当主晴宗を凌駕する所領を有していた(小林清治氏『戦国大名伊達氏の研究』第二章第三節に拠る)。子の牧野久仲の分も合せれば、更に大きな所領を持っていたはず

2016-01-30 21:01:15
三浦介 @miurano_suke

@aizuyakata これほど強大な勢力を持っていた中野父子が本気で謀反を計画していたなら、いかに不意を衝かれて小松を追い落とされても、その後巻き返しの行動を取らなかったはずがない。

2016-01-30 21:03:01
三浦介 @miurano_suke

@aizuyakata その後、中野父子与党の反乱もなく治まったのは、やはり中野父子になんの備えもなかったからと考えざるを得ない。むしろ今までなぜこの見解が出てこなかったのか不思議なくらい。

2016-01-30 21:06:01
三浦介 @miurano_suke

@aizuyakata 乱後、父子を見逃した小梁川盛宗、白石宗利、田手宗光なんかが輝宗に叱責されているが、これらの者たちは、実は罪なくして討たれた中野父子に同情してたんじゃないかなんて妄想したりする。

2016-01-30 21:08:13
三浦介 @miurano_suke

しかし伊達輝宗は大河ドラマやゲームの影響からか、凡庸な好人物みたいなイメージで語られることが多いように思うが、虚心坦懐に事績を見ると、かなり果断で気性も激しい感じがする。

2016-01-30 21:11:55
三浦介 @miurano_suke

@aizuyakata 天文の乱以降の伊達当主は支配領の規模で家臣に上回られてしまうという、砂上の楼閣だったわけで、いかに最大の権臣・中野父子を追放したとはいえ「逃亡を見逃した」と白石ら、一城を有する有力家臣を叱責するなんて、よほど度胸がないとできまい。

2016-01-30 21:16:48
三浦介 @miurano_suke

@aizuyakata それをきっかけに中野父子と相馬を呼び込んで謀反、なんてことだってあり得なくはなかったわけだから。

2016-01-30 21:18:29
三浦介 @miurano_suke

@gine_ya 健気で泣けますよねえ。しかし今日の丸の氏政を見ていて、もしかすると輝宗が当主だったら案外北条と同じ道だったかも、若い政宗だからこそあの土壇場で切り替えられたのかもなあなどと思ったりしました。

2016-06-12 21:44:19
@gine_ya

@aizuyakata 輝宗結構創作のイメージと違ってイケイケドンドンですもんね…。輝宗の死によって早めに二頭体制から抜けざるを得なかったのもまた生き残れた原因なのかなあ。

2016-06-12 21:50:44
三浦介 @miurano_suke

@gine_ya イケイケキャラもそうですが、個人的に輝宗は伊達歴代でも特に誇り高い感じがするので、減封や、上杉や西国大名の下に位置付けられるのが受け容れられずジタバタしたかも…なんて思ったりするのです。

2016-06-12 22:32:00
@gine_ya

@aizuyakata 死ぬときの「人質にされるぐらいなら俺を殺せ」(大幅意訳ですが)もすごいですよね。政宗は時代が下ってもどこか中世的な考えを持っている近世大名だと思いますが、やっぱりそれは輝宗の影響強いでしょうし。

2016-06-12 22:34:19
小僧丸 @4SX9iJDihw

伊達輝宗って登場初っ端から父親に喧嘩吹っかけて争乱沙汰になるし(最上義守が仲介を試みている)、相続早々に体制の首魁を一族もろとも粛清するし、どう考えてもやばい人よね。私人としては善良だったんだろうとおもうが

2017-06-30 12:30:33
小僧丸 @4SX9iJDihw

「このなかに、中野親子に同情して逃亡を助けた人がいますね?あとから還住の嘆願などをするつもりでしょうか。誰がやったのかな?先生、怒らないから正直に手をあげなさい」 ←これ完全に中野一党皆殺しにする気マンマンだったよね

2017-06-30 12:40:18