東国の戦国武将の「号」について

4
la_cometa_rossa @nagao_uesugi

蘆名盛氏には止々斎に付随する号はないのだろうか(こういう表現で良いのか分からないが)。竹岩?

2017-02-07 15:33:24
三浦介 @miurano_suke

@nagao_uesugi 雅号なので斎号だけだったかもしれませんね。諡号から考えると「瑞雲院竹巖」か「宗関庵竹巖」で止々斎ではなくなってしまうという…//_o\

2017-02-07 23:11:40
la_cometa_rossa @nagao_uesugi

@miurano_suke 雅号って、そういうものなのですね。雅号の一覧を見たら、〇庵とか、〇洲とか、素行とか、竹雲とか、どちらかだけでした。謙信などは終始、「修理大夫」と宛名書きしたり、文中では「盛氏」と書いていますけど、雅号の場合は、官途名・実名は廃さないものなのですかね。

2017-02-08 12:26:41
高村不期 @buqimingri

@nagao_uesugi @miurano_suke データ化した文書を見たら、斎号単体の方が例が多く、32例中24例でした。その他は8例です。 ○道号付属5 雪斎崇孚4 江雪斎融成1 洗心斎道忠1 ○実名付属3 松田哲斎直憲1 見性斎氏直2 ご参考になれば嬉しいです。

2017-02-08 12:49:18
la_cometa_rossa @nagao_uesugi

@buqimingri @miurano_suke なるほど、北条氏直と松田直憲の例を見ますと、蘆名止々斎盛氏のように思えてきますね。このような場合、実名部分の音訓はどのようになるのですかね。それから、氏直らは出家しているのですかね。

2017-02-08 13:18:15
高村不期 @buqimingri

@nagao_uesugi @miurano_suke 氏直はこの時出家はしていないと思います。父が隠居時に截流斎と名乗ったのに倣ったのだろうと。出家していた場合は、戒名から推測して「宗徹」を名乗っただろうと思います。

2017-02-08 20:14:03
三浦介 @miurano_suke

@nagao_uesugi 当初の蘆名盛氏のように純粋な雅号の場合は出家入道したわけではないので、院号や庵号が付かないのは自然なことのように思えますね。

2017-02-08 22:33:37
三浦介 @miurano_suke

@nagao_uesugi その後は盛氏も出家したはずなので、その際に院号或いは庵号がつけられたと思われますが、それよりも気に入りの称である「止々斎」という斎号を使い続けたということかもしれません。完全に推測ですが。

2017-02-08 22:35:24
高村不期 @buqimingri

@miurano_suke @nagao_uesugi 横からすみません。氏政の場合は「隠居するぞ」モードの時だけ「截流斎」を名乗っているようなので、自分側からだとそういう使い方もできるっぽいです。それと、上田氏では「案独斎」が複数代にわたって使われたという仮説もありました。

2017-02-08 23:12:04
三浦介 @miurano_suke

@buqimingri @nagao_uesugi すまないなんてとんでもない。すると、けっこう自由な感じだったのかもしれませんね。

2017-02-08 23:38:04
la_cometa_rossa @nagao_uesugi

@miurano_suke @buqimingri 遅くなりました。すみません、細川藤孝が幽斎玄旨と号しており、雅号に道号が付属する実例がありましたね。でも、蘆名盛氏については、止々斎と署名している文書しかないようですから、斎号のみなのでしょうね。雅号ではありませんが、

2017-02-09 15:56:47
la_cometa_rossa @nagao_uesugi

@miurano_suke @buqimingri 長尾景虎は宗心と号するようになっても、斎・庵・院・軒号などは用いていないようですから、色々な用例があって、仰る通り、自由な感じがしますね。

2017-02-09 16:07:05
高村不期 @buqimingri

@nagao_uesugi @miurano_suke 輝虎の庵号は不識庵で、織田信長が宛所に「不識庵 進覧之候」としている書状写(戦今2571)があります。自称した直接の例ではありませんが、恐らく自称もしたのかと思います。

2017-02-09 16:53:59
la_cometa_rossa @nagao_uesugi

@buqimingri @miurano_suke この場合ですと、自称とはどのような意味になりますかね。宗心は京都の前大徳寺の徹岫宗九から与えられていますし、不識庵謙信は春日山林泉寺の益翁宗謙から与えられたと伝わっていますが、自発的に道号・庵号を請い求めた事実からですかね。

2017-02-10 19:23:07
高村不期 @buqimingri

@nagao_uesugi @miurano_suke 説明不足ですみません。ここでいう「自称」というのは「差出人としてどう名乗ったか」です。輝虎が「不識庵」と名乗ったから返書で信長が宛所にしたのかなという推測です。

2017-02-11 00:40:34