丹生谷貴志ツイートまとめ(2017年3~6月)

丹生谷貴志さんの2017年3~6月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

余談。ヴェズレイ、モワサックからシャルトル、アミアンへ・・・は中世美術史の基礎なのだが、要は「虚無に貼り付けられた覆い」のテンションに対する「意識の変移」が可視的な造形として凝固してそこにあるという「意思造形」の権能の異様は・・・と虚しい繰り言を図版を見つめて今更繰り返し・・・

2017-03-07 07:57:13
nibuya @cbfn

毎年三月は「飽きはての時」で。数年に一度再認を試みながら毎度失望(?)するのはアンドレ・ブルトンで、その「思想内容」ではなくてこの人の作品の妙な真面目さ、というか、昏い海から少し離れた人気のない防砂林に置きっ放しにされた古い木造舟のような感じ・・・しかし砂の匂いには再会して・・・

2017-03-14 06:35:06
nibuya @cbfn

1930年代末から敗北期に書かれた仏小説をランダムに読む。例えばレイモン・クノーの『Les Temps-mêlés.』、日本でも密かに人気のある(?)作家のはずだがこれは未訳、無理して原語で。後に再構成・改作した『聖グラングラン祭』の翻訳はある。どちらにしろ「素晴らしい快晴!」。

2017-04-09 19:19:49
nibuya @cbfn

ドゥルーズの仕事机の周りには読みかけの様々な本が投げ出すように開いていたという話を何人かから聞いた気がする。”リゾーム的読書”は彼の提案である以前に彼の恒常的な営為進行であったということ。「統合のために多様化するという営為は欺瞞である」等々。下降と上昇の中間に自身を断固係留する。

2017-04-20 08:48:16
nibuya @cbfn

・・例えば淡路島についての千人の証言を読んだとして、淡路島と自分との関係、或いは「淡路-自-島-分」的な交錯に”実質的な変異”が何ら生じていないと確認されたならばその千人の証言を「読んだ」ことには殆ど何の意味も効力もなかったことになる。空疎な認証ポーズの累積!・・テスト氏の手帳。

2017-04-20 10:13:05
nibuya @cbfn

ハーメルンの笛吹きの「忌まわしさ」が「誘惑し集めた鼠たちの即時大量抹殺の企み」にあるとして、抹殺の企みなしに「鼠たちをただただ誘惑し集め引き連れ寿命の限り世界を引回す」だけだとすれば、それは遍在プチブル期現勢世界における「エンターテイナーの良心」と「成功の秘訣」になりもする訳だ。

2017-04-24 13:08:39
nibuya @cbfn

・・・例えば「小説」を「物語=シェルター」のようなものとして語る者を信じないこと。どちらにしろ余計なお世話というものだ。シェルターに使うか使わないかは・・・読者はミノムシのように無数の文の断片を千切って、必要ならそれを具体的にシェルターにしもしようが・・・

2017-04-24 17:56:52
nibuya @cbfn

・・・余談。1950年代半ばの「プレザンス」を巡る・・・と言って「ルーツ」やら「誕生」やらが問題なのではなくて・・・ポロック、グールド、バード、フーコー、バルト、三島、渚にて、ゴジラ、ドゥルーズ、ヴォネガット、ザジ、ジュネ、et cetera・・・・

2017-05-01 22:07:20
nibuya @cbfn

・・・余談・それこそ四十年ぶりかにクノーの『青い花』を辞書と注を煩瑣を厭わずに引きながら読み終わる。漠然としたストーリーしか覚えていなかったが・・・自分が不思議なくらいクノーという小説家をアイしてる(!)ことを再認・・・無論大作家なんて下品な(!)人であるはずもなく、しかし・・・

2017-05-10 02:08:52
nibuya @cbfn

余談。誰もが知るように「分かり易い危機」への熱中は「分かり難い危機」からの殆ど”本能的な”逃避の動作である。「分かり易い危機」における”言説”には決定的に「批評性」が欠落する・・・欠落、と言うより、正確には”廃棄”される。要は「批評の抹殺」・・・単純極まりない経緯・・・の、退屈さ

2017-05-18 09:59:22
nibuya @cbfn

余談。「1792年、彼らは二十歳だった」という、シュレーゲルとノヴァーリスを巡るベンヤミンの卒然とした一文。モーツァルトの死の一年後であり、むろんフランス革命後の臨界の年・・・だから何だと言うわけでもないが、その、何の説明も加えないベンヤミンの文の卒然さにしばらく立ち止まる・・・

2017-05-24 13:36:58
nibuya @cbfn

・・・サルトルの仕事に昔も今も心酔したことは一度もないが例の「実存は無益なパッションである」という言葉だけは、そりゃそうだろ、といった気分とともに残っている。カミュの、「彼は死ぬ前までは生きていた」というジョーク(?)より出来はいい・・・?

2017-05-24 13:48:43
nibuya @cbfn

余談。「作者が神の位置から小説の人物たちを操ってはいけないとサルトルは言う」といった指摘に関して、サルトルの批判対象となったモーリャックがカトリック作家であり、その「神」において登場人物たちを「操ってる」と見えたということ、それを「こそ」サルトルが批判していたことを忘れぬこと。

2017-06-01 00:37:18
nibuya @cbfn

余談。悪い癖で「食傷するまで」音楽ばかり聴いてさすが限界、どれを聴いても音を脳神経の中で分解してしまいそうになる。それ以前に、シューベルトと言うと「天国的に長い」なんて自動的に口にする連中を我慢するのに苦労し始める。例えば、ショパンが貴族的だって? どこが? と喧嘩腰になる。

2017-06-21 09:44:03
nibuya @cbfn

余談。「シューベルト=天国的に長い」は周知のようにシューマンの評論が淵源の決まり文句だが、ともかく、もしかしたらこの手の決まり文句がやたら目につくのが私の村上春樹敬遠の理由かもしれない。春樹さんは年上だが、広い意味で同世代のせいで「周知の決まり文句」ばかりが気になってしまうのだ。

2017-06-21 09:56:21
nibuya @cbfn

余談。『レス・ノン・ヴェルバ』というエッセイを持ちながら石川淳さんの小説に「物」を感じることはない。鏡花には少なくとも「モノ感」が溢れている。大江さんにはアニマ的モノ臭がある。三島さんは物を求めて観念的であることを自覚していた。小説家としての良し悪しの問題ではさしあたりないが・・

2017-06-22 09:40:54
nibuya @cbfn

私事。それこそ何十年ぶりかで本格的に風邪らしい風邪で寝込む。それはともかく、2000年以降のポリーニさんのピアノが辛い。故障や年齢からくる冴えの鈍化ではなくて録音技師が変わったらしいことから来る問題が、ヘッドホンでしか聴かない僕には大きい。芯と位置の曖昧な倍音ばかり膨らんだ音!

2017-06-29 00:48:25
nibuya @cbfn

余談・相変わらずブラームスが聴けない。何が合わないのか・・・寡黙どころか情念的にコントロールの効かない饒舌さ、だろうか。マーラーのそれにはどことなし道化性を感じて嫌いじゃないけれど、ブラームスは・・・まだその「狙い」が見え透いて感じられてしまう身振りが理解できない・・・要は偏見か

2017-06-29 00:54:37
nibuya @cbfn

余談。必要があって読み返そうとした宮川淳さんの文章が全く読めないのに戸惑う。行を追う気力が全くわかないのだ。美術を語る言葉のどうしようもない封鎖感、その数少ない脱出口かもしれないと思っていた宮川さんが読めないのは辛い・・・さしあたりは宮川さんではなくて自分の問題だろうと黙り込む。

2017-06-29 01:17:07